ツェルマットな日々 その11日目



ヘルンリ小屋(3260m)へハイクアップ 〜マッターホルンへのアプローチ〜




【8月30日(火)】

朝起きると今日も快晴!! テレビの天気予報で今後の予報をチェック。明日も天気が良いが、午後は雷雨がくるという予報。その後の数日も概ね天気が良さそうで晴れマークが続いている!朝食をゆっくり摂ったあとで部屋に戻り、前夜既に全て用意を済ませていたザックを再度総点検。小屋にデポしていく物を含めてザックに入っているので、やや重めで8キロ位か?30リッターのザックは結構満杯で少し重たいので、ヘルンリ小屋は人が多くて暑いという噂を信じて、軽量ダウンを置いていくことにした。(これは大きな失敗だった)


11時頃までうとうと昼寝をしていた。トイレを済ませて、本日は懸念の生理でないことを確認した。いよいよ行く決心をした。ちょうど約束の11時半にアクティブマウンテンの茂木さんから電話が入った。「行きます」と返事をしたので、「これから正式に最終連絡をジョージにしますね」と茂木さん。


とても自分自身の中で緊張が高まった。本当にマッターホルンに行くんだ!!! 
スイスに来てからのあまりの雪での待機期間が長く、本当にこの時が来るとは思えなかったので感無量。神様、あと1日だけ生理が来るのを遅らせてくださいと真剣に念じたのは言うまでもない(苦笑)


ホテルを12時20分頃出発。昼間のゴンドラは空いていて、フーリーで乗り換えてシュバルツゼーへ。ゴンドラを降りて写真などを撮っていたら、ちょうどアクティブマウンテンの岩井さんに遭遇。岩井さんは私がスイスに来る最初のプランニングからずっと手配を担当して頂いた方だ。メールのやり取りで私の心配事などにも丁寧に応対して頂いていた方なので、この時にお会いしたことは嬉しかったです。ちょうど大勢のハイキングツアー客の先導としてガイドされている時でした。「やっぱり行かれることになったのですね」と彼から言われた。自分が行こうかどうか迷っていることは伝わっていたようでした。ちょっと男性には話しにくいことも多々あったので、途中で茂木さんに担当が変わった?配慮は有難かったです。


ハイキング客は、私がマッターホルンに登ろうとしていることを聞き及んで「明日何時ごろ山頂に着く予定ですか?その頃に下から山頂に向かって手を振るよ!!」な〜んて冗談まじりに大きな声で声援を受けてしまったので、赤面この上ない。ハイキングツアーの方々はゆっくりした足取りでツムット方面のハイキングに向かって出発されました。


私は彼らに見られるような形でいよいよ出発。シュバルツゼーの湖の畔からヘルンリ小屋までのハイキング道は途中まで丸見えなので、ちょっと恥ずかしい。一気に坂を上って彼らの視界から外れてほっとした。(苦笑)足取りはやや重め。小屋までのデポ分もあるのでそんなにハイペースでは登れない。明日は小屋になるべくデポしてもっと軽快にしようと思う。明日の予行練習なのであまりタラタラは歩いてもまずいので休まず歩いていると、アジア系の若いハイキングの男性が追ってきた。日本人かもしれないけど、よくわからなかった。その後いつの間にかいなくなってしまった。


ちょうど、ある程度歩いていると下山してくるアジア系の20代位の背の高い男性を1名発見。その装備から見てマッターホルンアタック組だと判断。日本人かどうか微妙なところで、相当に焦燥とした様子で眼が据わっているような感じだったので声をかけるのがはばかれた。たぶん2時前の時刻で、かなり下でお会いしたので登頂したとすると一番乗りの登頂か、そうでないとなると途中敗退だろうと予測した。全然喜んでいる様子がないので、やはり敗退かなあ・・・こんなに若い男性でも敗退かと厳しい現実を突きつけられた一瞬だった
(後日、たまたま耳にした情報では彼はガイドレスで単独でチャレンジした日本人で、標高で小屋から200m位までの所でリタイア。迷路のようなルートに完敗したらしい。ガイドレスで挑まれようとする方にはかなりの実力が必要だという現実です。)


その後も気をつけて見ていると、下山してくるアタック組は3,4組位しか見当たらず。本日の登頂を目指したパーティーはかなり少なかったようだ。(というよりも、まだこの時点では降りられていない人も多かったようだ)オープン初日なのでそんなものでしょうか。そういう、自分は、とてもマッターホルンに明日登りますと宣言するのも恥ずかしいので、普通のハイキングの人に見えるようにヘルメットはしっかりザックの中に収納しておりました(笑)途中の道は鉄柵の階段とかロープなどもあるが、迫力ある高度感のある快適な縦走路って感じで、日本の3000m峰を登っている人であれば問題なく感じるレベルの道だった。


途中の急登になる手前で1回休憩。ここからはあと標高差300m。ヘルンリ小屋が岩の上に綺麗に小さく見えている。空気が乾燥しているので爽やかな登りだが、3200mに上がろうとしているのでやっぱり呼吸はやや辛い。足も相変わらずだ。途中で、何組かテント装備でアタックするようなパーティーと前後する。国際色豊かで、いろんな国の人がいるようだ。ヘルンリ小屋までの道は整備もよくされている感じで、2時間ちょっとで無事に到着。


小屋の前のテラスに到着して、やれやれと思っていると汗が引いて寒い。早速チェックインしようとしたが・・・・。実は自分はヘルンリヒュッテとヴェルヴェデーレ山岳ホテルが並んで建っていることは知っていたが、山屋はヘルンリヒュッテで、観光客はホテルなのかと勝手に思い込んでいた。そこで右に建っている古い感じのヘルンリヒュッテの小屋の前に行ってみたのだが、扉は閉まっているし変? 15時からチェックインできるみたいにドイツ語で書かれているようだが、英語でないのでイマイチ不明。近くにいた前後して登っていた2名組のパーティーに聞いてみたところ、彼らはテント泊なのでわからないという。たぶん左側かなあって?


そこで、ホテルの入り口の方に登って行こうとしていると、突然大きな声で「お陰さまでヘルンリ小屋まで到着することができました。本当にありがとうございました!!!」と大きな女性の日本語の声が聞こえました。超ラッキーと思って声の方向に向かうと、なんと見覚えのある日本人ガイドがいらっしゃるではありませんか!なんと、5日目のブライトホルン登山の時の下山の際に、ロープウエイでよっちゃんが会話を交わして記念撮影をさせて頂いたシャモニー在住の国際ガイドの白野民樹ガイドでした。このときは、ハイキングに慣れない日本人3人組が不安なところを白野さん達と出会って一緒に上がってきたのだという。


さっそく白野さんに挨拶に行くと、なんとなく我々五人組のことは覚えていたようで、アクティブマウンテンから頂いていたホテルのチェックインのためのバウチャーを持っておろおろしていた自分に「チェックインを一緒にしてあげますよ」と言われた。渡りに船とばかりにお渡しして自分も小屋の受付の所に一緒に行く。受付でガイドの名前やらを伝えてバウチャーを渡す。それから、白野さんに案内されて自分の部屋に行ってみる。白野さんのお客様の日本人2名は2階の(向こう流では1階の位置づけ)入って右手のカイコ棚形式の部屋。上下2段の日本でもあるタイプの部屋。ずらっと毛布と枕が並んでいる。自分と白野さんは4階で、白野さんの部屋はガイド部屋だという。自分の所はどういう位置づけの小屋か?だったが、2段ベットが4つ置かれた8人部屋だった。自分は窓際の下の場所をキープ。人のいないせいか、部屋はめちゃくちゃに寒い。


テラスに戻ってしばし歓談。白野さんにガイドされている日本人のCさん、Dさんは共に還暦記念に来られている方で、40年来の親友同士という。去年アトラスクトレックのツアーでモンブランに申し込んだところ、9月だったので参加者が3名しか集まらずに主催旅行は中止と言われ、頼み込んで手配旅行にしてもらって旅行を実施。その際に、ジュネーブの空港への送迎から、高度順応のトレーニングからモンブランの登頂までの全ての添乗+山岳ガイドを白野さんが一気に引き受けたのだという。そこで今年はメールでやり取りをしてマッターホルンに挑戦となったのだという。ちょうど私と同じ頃から来ていたようで、私が昨日登ったオーパーロートホルンを一番最初に相当な積雪量をかなりのラッセルかつアンザイレンで登ったことに始まって、ブライトホルン、そしてマッターホルンは一旦諦めて白野さんの車でグリンデルワルトに移動(車だと3〜4時間程度で移動できるらしい)して、メンヒを登ってきたのだという。二人は帰国の飛行機の関係で明日はジュネーブまでどんなに夜遅くとも戻らないとならないという。明日マッターホルンに登頂後にジュネーブまで移動はリスキーなのでかなり反対したが、どうしても登りたいという二人の熱意に負けて、ここに上がってきたのだという。


私は多くのガイドがソルベイ小屋まで2時間半程度で足切りをする話なので、白野さんはどれぐらいの時間で様子を見るのですか?というような話を伺ったところ、白野さん曰く、
「ヘルンリ小屋までどんなに遅くとも夕方4時までに戻らなくてはならない。それに間に合うまでの時間でタイムリミットとする。ツェルマットに降りるゴンドラの終了時間は17時15分なので、それに間に合うためにはその時刻までがリミットです。」とのこと。私が帰国の日にはもう1日あるということがわかるとそれはよかったという表情だった。またヘルンリ稜を見上げると「この状況では結構雪が多くて難しいから、なかなか登頂は大変だよ。ガイドにしっかりとくっついて行くことだよ」と暖かいアドバイスを頂きました。やっぱり、雪が多いよなあ・・・・


外はかなり寒いので部屋に入り、しばらくベットで横になるが半端じゃなくて汗が引いて寒い。毛布は薄っぺらなので、近くにあった薄い毛布を手当たり次第ゲット。それでも寒くて、そういえば厚い大きい毛布が2階のカイコだなの部屋にはたくさん積まれていたので、そこに毛布をもらいに行く。(あとでよくよく見ると、自分の部屋のわかりにく場所にも置いてありました)やはりカイコだなの部屋は既に何人か横になって休んでいる人も多く、暖かくていいなあ〜〜〜。


自分の部屋に戻ってやっと毛布に包まれて、汗が乾くのを待ちました。少し暖かくなったので、一応明日の取り付き点までを下見に行きます。すっかり外は太陽が翳って寒いので、ゴアの上着を着てぶらぶら歩いていきます。小屋の後ろからほんのちょっと上がるだけなのですが・・・・なんか、ぜいぜいします。ここを明日の朝、ダッシュしなくてはならないかと思うと・・・・。小屋から取り付きまでは少し上がったあとは、概ね平坦な所を歩いて200mぐらいでしょうか?


初めて見る取り付け点には、見学客数名。ちょうど最後の降りる所の上にガイドレスらしき2名のパーティーがおりました。懸垂をしようとしているのですが、一向に降りてくる気配がありません。ロープワークでもたついているようです。今にして思うと、最後の力を振り絞ってへとへとな状態だったのでしょう・・・・。近くにいた、おじいさんのようなニッカーボッカ姿の人(結構高齢みたい)が固定ザイルを伝わって登って行くようでした。Sさん夫妻やNさん夫妻もこの取り付き点をロープで登って遊んだと言ってましたので、私も行こうかと思いましたが、いつまでたっても上の懸垂パーティーは降りてこないし、明日の大事な一番を控えて、ここで下手に怪我でもしたら泣くに泣けないので、写真を撮るだけにとどめました。


他にも2パーティー位が左の方から降りてくるのが見えるのですが、全然近くにきません。30分近くたぶんぼーっと見ていたと思うのですが、複雑に折れ曲がったような地形なので、見えたり見えなくなったり・・・・。なんでこんなに時間がかかっているのか、このときは大変不思議に思ってましたが、翌日に自分が体験すると本当によくわかりました。また、ガイドレスの人達が何人か下見のために上がっていくようでした。


ここの取り付きはよっちゃんが2001年に登った時には固定ザイルはなかったそうですが、その後に取り付けられて混雑緩和に一役買っているようです。確かにここはかなりシンドイので、固定ザイルがなければ渋滞必須です。磨かれて岩はツルツルになってました。ここから見る北壁側の氷河もすごい景色だし、夕暮れのモンテローザ方面も素敵です。明日はよい天気になるように・・・・。








シュバルツゼーにて、これから出発 真ん中の小さくぽちっとあるのがヘルンリ小屋
左下の小屋がヘルンリ小屋。休憩地点からのアップ。雪が多い・・・
右が北壁、左が東壁。ヘルンリ稜ルートは東壁側を通るのがほとんど
ヘルンリ小屋の私の部屋




小屋に戻ると、ちょうどガイドのジョージがチェックインするために受付で待っているところだった。
「I’m glad to see you ! 」 「Me too !! 」
と、思わずハグして再会を喜ぶ。ちょうど彼は今上がってきたところだった。なんだか外国人ばかりで妙に勝手のわからない所なので、知っている顔を見つけるだけでほっとした。部屋に戻って再び毛布の中でぬくぬくしていると、男性2名のパーティーがやってきた。遠慮がちに手前のベットをキープ。ガチャ類を結構持っていたので明日はガイドレスだろう。さらに大分遅い時間になって、男女のパーティーが部屋に入ってきた。女性が顧客で20代か30代前半位で、ガイドはたぶん近隣の外国のガイドさんのようだった。私が勝手に彼らの毛布を借用していたので、文句をドイツ語で言われたけど全くわからないので無視した。向こうもしょ〜がないなあ・・・ってな感じで、無駄だと思ったようだ。(結局全部で8人部屋に5人だった)


小屋の下の方では寛いでいる雰囲気があるが、7時を過ぎても食事の案内などがないので、さすがに心配になって食堂に行くと皆がそれぞれ飲み物などを飲みながら寛いでいた。とりあえず食事は始まっていなかったのでほっとしたが、誰もいないと困るなあ・・・って思ってあたりをきょろきょろしていると、白野さん達を発見〜☆


なんと白野さんとCさん、Dさんはもちろんのこと、私のガイドのジョージが白野さんの隣に座ってすっかり日本人パーティーの一員みたいな感じでいた。MINMINは本当に嬉しかった♪ 早速合流。Cさん達から「もう装備チェックを受けましたか?」って聞かれたので、まだですと答えた。ジョージが食事の後で装備をチェックするからねと言う。それから明日は4時起床で4時15分出発だと言われた。とにかく朝はスピーディーに出ないといけないとジョージはもちろんのこと、白野さんからも指導。全てやるべきことは今日のうちにやっておけというので、「ヘッドライトをメットに付けることと、テルモスのお湯は朝食のポットのお湯から貰えるが、貰い損ねることもあるので、今日のうちに手配しておくように」と言われる。自分は「トイレに夜中に行くので、ヘッドライトはメットに今のうちからはつけられない。」と言うと了解してくれた。そこで、二人で

「1にトイレ、次にヘッドランプのヘルメット装着、3にハーネスを付けて、最後に食事だ!」

と明日の朝の出発までの手順を確認。白野さん曰く、ちょっとした所で1パーティにつき仮に3分待つと、それだけで20番目のパーティーは60分遅れることになる。とにかく朝のダッシュの順番は後半の1時間の差となるので、登頂できるかどうかに関わってくるので、とても大切だと力説された。


CさんやDさんはつまみに持ってきた鰹ぶし入りのチーズやチーズかまぼこをジョージにも分けてくれた。私は、魚臭いのはジョージは大丈夫かなと思って「生のお魚は大丈夫?」と聞いたところ、雪のシーズンはカナダでヘリスキーガイドをやっているので、バンクーバーには良く行くので(そこから3時間ほど飛行機でフライトするアラスカに近い所に滞在している)、バンクーバーにはたくさんの回転寿司があるので大好物だという。「わさび抜きね」という話まで話ができちゃうから、日本の回転寿司もすごいものです! 興にのって梅干までジョージにあげちゃうから、ちょっと心配。白野さんもそばから見ていてよした方が良いんじゃないかな?みたいな表情だった。梅干のことは自分はベリーソルティープラムなんて訳したけど、ジョージが平気で何でも食べてしまうのにはびっくり。Cさん、Dさんからはチーズが苦手の自分にはマシュマロなどを下さってありがとうございました。白野さんに時折通訳してもらい、とても楽しかった。


リュフェルホルンへの登山電車の中でもジョージが私がヒマラヤに行った事があるというのに興味を持っていたようだが、ヘルンリ小屋でもその話が出てきた。やはり行った事ない場所には憧れがあるものだ。自分はネパールはトレッキングなんで大したことしたわけではないけど、でも5500mラインまで行っているということ、19日間もかけて行ったことについては興味を示していた。また盛んに白野さんからは「おたくのガイドは若くてかっこいい男だなあ!!とにかく明日は彼にくっついて行くんだぞ!俺達みたいな熟年組でなくて、いいなあ・・・・」なんて言うので、やっぱり男の人から見ても結構かっこいい人なのでした♪♪♪ 歳のことは聞いていなかったので、尋ねてみると34歳だという。私は「てっきり28歳位かと思ってましたよ」と言うとニコニコしていた。どうりで、20代よりは落ち着いて見えていたのが納得でした。自分はおしゃべりな方なんだけど、英語があまりしゃべれないのでとっても残念なんですよ〜〜という話もした。本当は英語でジョークの一つや二つ言えるといいんでしょうけどね。


食堂は概ね満員みたいな感じだったが、半分ぐらいはヘルンリ小屋までのハイキング客のようでした。だから、明日山に向かう人数はどれぐらいかよくわからなかったのですが、小屋から出発するのは概ね20パーティー位でしょうか?(翌日にすれ違ったパーティーの人数からみても30パーティーは居なかったような気がする。)
 

なかなか出てこない料理がようやく7時半過ぎぐらいから出てきた。最初は黄色っぽいポタージュスープだった。フランスパンが少し多めに浮き身として入っていた。結構美味しかった。次は皿の右側に豚肉と野菜(たまねぎやナスなど)が炒めてあってやや茶色っぽい感じの豚野菜炒めみたいなもので、左側に見たことない黄色ぽい変なのが山盛り一杯に載っていた。自分は和食党なので、そもそも西洋料理は詳しくないが、少し食べてみると味がなくて変・・・・・。何なんだ??? 見ると白野さんやジョージとDさんは美味しそうに食べていた。Cさんは・・・・自分と同じように食べれない。右側の豚野菜炒め風の料理は醤油味にやや近いものがあって、それなりの味付けで抵抗なく食べられたが、左の料理はどうしていいのやら・・・・。自分の欠点は食べたことの無い料理に抵抗感があるので海外旅行はそれがネックなのだ。。。ほとんど他の人が食べ終わる頃に聞いてみると「左のはコーンだよ。お腹がとっても膨れるよ」ってジョージが言うのでした。
(帰国後、向こうの料理に詳しい人に伺ったところ、それはポレンタというコーンの料理でかなりポピュラーなものだそうです。ポレンタは同じ付けあわせの料理とまぜて食べるもので、いわばカレーとご飯みたいに混ぜて食べるものでした。自分はそれをカレーだけ、ご飯だけで食べようとしたので、ご飯だけだと味がなくて困るように、ポレンタもそういうものでした) 結局右側の炒め物だけを食べて、左側はほとんど残してしまいました。次はデザートで、カスタードプディングというような固まっていないカスタードアイスみたいで、結構量が多かったですが美味しく食べました。


食事が終わると装備チェックです。まずはジョージはクランポン(アイゼン)チェックが一番大切だと言って、私のシャルレのセミワンタッチアイゼン(後ろがバックル形式で、前から後ろにかけてはバンドで締めるもの)を手に取って、手ではまるかどうか確認して「グット クランポン」と言ってOKサインです。
(やはりこういう時には、向こうの国で普及しているポピュラーなメーカーの物の方が通りが良いです。アルミ、チタンなども受けは良くないようです⇒以前行ったモンブランの時には持参のアイゼンではガイドからOKが出ませんで、当日レンタルした経緯があります。)洋服は今着ている服に、上着に厚手のシングルのゴアのジャケットを持って行くことでOK。それに、ピッケルを確認してOK。他に手袋とかの小物類のチェックは一切なし。ツェルマットのガイドだと、ほとんどのケースでピッケルは持っていかないと聞いていたので、すごく意外でした。ピッケルと言えども荷物の重量になるので、自分のピッケルは比較的軽め(約570g)ではあるものの持って行くとなると重さにはなるので・・・・。この辺りから、彼がツェルマットのガイドではないことの違いが出てきました。
    
                                
★なお装備については、別項目でまとめてこまかく紹介しておりますので、そちらをごらんください。


それから、再度明日の朝の行動パターンの「1にトイレ、次にヘッドランプのヘルメット装着、3にハーネスを付けて、最後に食事だ」を二人で笑いながら復唱しておやすみなさいでした。


夕食後は、誰も部屋にいなかったのでまったりです。夕食の左側のコーンの代物を食べなかったお陰で、ややお腹が空いているので、そういう時のために五目おこわを持っていたので少し食べたのですが、冷たいご飯はイマイチでした。(部屋はやっぱり寒いので)もっと別のパンみたいな物の方が良かったです。(翌日の朝は量を多く食べれないのですから、ここでもう少し食べておくべきでした・・・・反省)


それからお湯を貰っておくべきなので、1Fの受付でテルモス(500cc)を渡して4CHFでした。(高〜〜い!)。食堂には、まだ人がある程度おりました。ガイドさん達がたむろっているコーナーがあるのですが、ポリュックスの時のガイドのヘルムートの顔も見かけました。彼はツェルマットのガイドなので何人かの友達とじゃれあっていて、ちょっと声をかけるのも憚れるので挨拶はできませんでした。ふと見ると、ジョージは離れた食堂の一角でぽつんと一人で雑誌か何か読んでいました。(ちょっと寂しそうかな?)やはりツェルマットのガイドとそれ以外のガイド(他地域や外国のガイド)では随分違うんだなあっと思いました。


夜の9時か9時半頃に部屋の電気が消されて就寝です。そうは言ってもなかなか眠れるものではありません。もともと日本の山でも緊張するとあまり眠れないので、そのこと自体は気にはなりません。毛布を何枚も使ったお陰で結構ぬくぬくしていい気分ではあります。途中で何度かコンタクトレンズが外れないように目薬をさします(自分はスポーツの時しかコンタクトレンズを使わないせいもあって、速攻ではレンズは入れられないのです。早朝出発の場合は使い捨てのワンディアキュビューを入れっぱなしにします。)それ以外は眠っていたのか、眠っていないのかよくわからない状態で朝が来るのを待ちました。

ホテル出発12:20 シュバルツゼー出発13:10 休憩14:18〜25 ヘルンリ小屋15:20



ガイドレスのパーティーが懸垂をしようとしているが・・・ ルートは、中央の固定ロープを登ると、左に回りこむような感じになる。
最初の取り付き点の固定ロープ(30センチ置き位に結び目あり) 左側のルートから降りてきているパーティーがいるが、一向に近づかない。
北壁側の氷河 左からモンテローザ山群、リスカム、ブライトホルン