ツェルマットな日々 その13日目
その後のエピソードと山岳博物館見学
【9月1日(木)】 昨夜は疲れ過ぎたせいか、妙に何度も途中で目が覚めて朝早く起きてしまった。マッターホルンがモルゲンロートに染まるのをホテルのテラスから、やっと落ち着いた気持ちで見ることができた。今までは雪が多いだの、少ないだの一喜一憂の気分だったから、ほっとした気分だ。今朝のマッターホルンは少しだけいつもより優しく見えるのは気のせい?(笑)いつも筋肉痛には悩まされる方だが、スポーツタイツのお陰かほとんど感じなかったが、その代わり半端じゃないほど指先および手の沁みるような痛さに参りました。(自業自得・・・)顔を洗うのも、手を洗うのも、物を握るのも、何をするのも大変だった。やむなく鎮痛剤を飲む有様、トホホ・・・・ 泊まったホテルは朝食を食べる食堂がとても素敵だが、ここでマッターホルンを正面に見ながら食べるのも最後だと思うとちょっと寂しい。ゆっくりと堪能するが、ナイフ、フォークを握るのも手が痛すぎて億劫な感じで参りました。唯一頑張ったのが、ホテルのロビーにあったPCより自分のHPの掲示板にマッターホルン登頂成功の書き込みをしたことだ。今まではどの山を狙ってますと書くのも気が引けるほど、マッターホルンの山の状況が悪かったので、登れてから初めて公言できたのでした。部屋に帰って帰国の準備を始めるが、全て手を使って何かするわけなので、痛くて痛くて超スローペースでスーツケースなどに物を積めたりしていく。手に一杯バンドエイドを貼りまくり(苦笑)疲れては昼寝したりとのんびりモード。やっと一通りパッキングも終わったので安心して寛ぐ。 今日は夕方4時にアクティブマウンテンの事務所で精算などをするので、それまでは少し町をぶらぶらしたり、大好きなお花の写真を撮ったりする。4時過ぎに事務所に顔を出すと、茂木さんが迎えてくれた。今日の昼頃にガイドのジョージも事務所に奥さんと小さなお子さんを連れてガイド料の精算と挨拶に来たそうだ。なんとジョージは今日でツェルマットを離れてオーストリアの家に帰るところだという。<あ〜、なるほど!! 彼にとっても、昨日がマッターホルンをガイドできる最終アタックのチャンスだったのかあ・・・> 初めて納得した気分だった。やはりガイドとしてツェルマットでひと夏過ごしたからには、マッターホルンの1回ぐらいはどんなに天気が悪い年だろうと登れないとカッコつかないよね?! 来年もツェルマットにジョージは来るそうなので、遅いペースの人にはジョージはお勧めガイドだね・・・なんて話になった。 茂木さんには、ガイドにまつわるいろんなエピソードや情報などを教えていただき、とても有益で楽しい時間だった。今回はエージェントに色々相談にのっていただき大変感謝です。また、シャモニーからの情報で途中で一緒に行動したN夫妻はモンブランの登頂に無事登頂されたという嬉しい話も入ってきた。お天気はシャモニーの方も後半良くなってきて、S夫妻がどんな山に登っているのかも気になるところである。 茂木さんからは夕食でもご一緒に・・・・と言われたが、なんせ食事をするのにまともにフォークとナイフを持てないような有様なので辞退した。それにしても、ツェルマットに滞在中に1度もレストランの類に入れなかったのは、さすがに残念。皆が喜んでいるチーズフォンデュとかは、チーズとアルコールが苦手の自分はちょっと勘弁って感じの料理だが、せめて別の料理でも食べたかったなぁ・・・。ツェルマットの外食のお値段はかなり高いので、節約にはなったけどね。一人でレストランに入るのは日本でも苦手だけど、外国だとますます敷居が高いのでした。(苦笑) 山岳博物館は夕方は4時から6時までしかやっていないので、名残惜しくも茂木さんにお別れして山岳博物館に行く。すぐ近い場所で思ったよりも小さな建物だった。受付で日本語のパンフレットをもらったので、わかりやすくてよかった。一番のお目当てはマッターホルン初登頂の際のウインパーら7名の登頂と下山時の悲劇(7名中4名が滑落死)のエピソードをまとめた「1865年7月14日の部屋」の展示だった。転落時の様子の模型や切れたザイルなど装備類やその後の裁判資料などが集まっていた。一点一点興味深く拝見した。<あ〜、登る前にここに来なくてよかった ふぅ〜〜〜 >って気分だった。 他の展示で印象に残ったのは、マッターホルン北壁の冬季女性初登攀は鴨秋子(しぎあきこ)さんで、日本人として光栄なことにカラー写真が飾られていた。また、ピッケルの歴史みたいなのがずらっと展示されていて、昔はとてつもなく大きくて持つのも重たそうだった。スキーの展示も一杯あった。かなりじっくりと堪能して、結構楽しかった。 あとは職場へのお土産を買いにお土産屋のWAGAに寄った。数があって軽くてかさばらずに気の利いた物がないか探していたら、日本人の女性店員さんが探すのを手伝ってくれた。彼女は夏季の間だけバイトをしているフランスに来ている留学生だ。ひょんなことから彼女とはヘルンリ小屋へ登る途中ですれ違っていることが判明。そういえば、日本人らしき若い女性一人だったので声をかけようか迷ったことを思い出した。そこから話が弾んで、なんと昨日は朝の8時前後に東壁(私が登った同じ側のバリエーションルートで難しいコース)でオーストラリア(南半球の)から来たクライマーが滑落死。ヘルンリ稜はその時間帯は一番上部の固定ロープ付近で多くの人が渋滞している時なので、多くの人が見ている所を人が脇を落ちて言ったという・・・・。白野ガイド達もちょうどその頃にそれを目撃したとか?ヘリ要請も近くで見ていたガイド達が行って、すぐにヘリで収容したという。 自分はそんな騒ぎの時にはもっと下に居たし、ヘリもしょっちゅう飛んでいるので気にしていなかったので、見なくて良かった・・・。お土産も買ったことだし、ぶらぶらとホテルに戻って、明日の早朝の出発に備えてチェックアウトの手続きを今のうちに済ませた。部屋に戻るとテラスのチェアに座って、暮れていくマッターホルンをのんびり満足しながら眺めるのだった。 |
自分の泊まったホテルの部屋 |
ホテルのとっても広いテラス お花が一杯♪ |
ツェルマットで一番大きな登山用品店 |
ツェルマットの駅は全部赤いお花で可愛い |
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紫のサフィニアのお花がとても綺麗 |
お世話になったアクティブマウンテンの看板 |
事務所内の様子 |
初登頂の際の7名パーティの構成。下の4名が滑落 | 事故の様子を再現したもの。赤のラインがヘルンリ稜で初登攀ルート 滑落場所は北壁上部、左の向こうが東壁側 |
生き残ったウィンパー(中央)とガイドのタウグヴァルダー父(左)、息子(右) 切れたザイル |
昔のスキーはこんな感じ。私の家にもこれに近いのは持っていたよん。 |
大きなピッケル。昔から氷河歩きはレジャーとしてあったみたい? | 山岳博物館の入口 |
山岳博物館の外観 | ウィンパーのレリーフと彼の定宿のモンテローザ |