ときどき日記 その2


  
 第10話  スパッツの謎

いつも山に入る前から、スパッツをつけている人を見かけるけど、ここで思いつくまま書いてみようと思う。

というのは、昨日早朝の中央線で山に向かう時のこと。中距離電車は(立川発甲府行き)トイレは1両しかないが、トイレに行く人が結構多い。私もあと30分ぐらいは到着まであるのでトイレ車両に行った。使用中だったので控えめに近くの椅子に座って紙など準備していると、来るわ来るわ、おば様方が。私が入ろうとしたら、ドアの近くにいた人に先に入られて。確かにドアのまん前に張り付いて立っていなかった私がいけないんだけど。。。

まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、電車の中なのに、スパッツしているんだよね。私の後ろに3人ぐらいずらっとトイレの前に並んだのでよくよく観察してしまった!一人は自分がどの駅で降りるか、よくわかっていない人がいた。挙句に知らない人から「○○山なら、どこどこ駅で降りなさい。あと幾つ先の駅です。」と言われたり、「あとちょっとで駅に着く!先にトイレに行かせて!」とか叫んでいる人がいて、譲ってあげた。山岳会に所属している人もいて、今日は総勢30名で15人ずつ分かれて登るんです!な〜んて自慢げに言われてしまった。

うーん、確かにスパッツは雨や泥よけに使うものだけど。冬なら少しは暖かくていいかもしれないけど、夏にもしている人なんか蒸れないかと思っちゃう。おば様だけでなく、おじ様でしている方もいる。うーん謎だ。。。

そこで、推測@最近の低山ハイクだと、30人どころか100人とか大挙して登るので、スパッツを付ける時間や場所がない。たとえば、雨が急に降り出して、一斉にスパッツを30人がつける場所がない。山道は狭いから、雨具をつけるのが精一杯。
推測A中高年になってくると、体が硬くなってくるので、ちょっとスパッツは体をかがめてつけるので、そういう作業が苦手な人もいるだろう。だったら予め先につけて置こう。
推測Bそういう集団で登ることで山を登ることを覚えた人は個人で登ってもそういう習慣になってしまう。

昨日の話だと、集団登山だと、駅でトイレに行く時間すらあまり取れないらしい。よって、先に先に、思う付くことは全部やっておこうみたいな推測@の可能性が高いのかな? 是非、本当の彼女、彼らの理由を知りたいものである

                                                 ( 2003/01/06記 )                                                   


 第11話  ザックカバーの謎

前回のスパッツの謎に続く、第二弾?
謎というのか、珍現象について。

ザックカバーというのは、私の場合、昔から持っているけど、あまり使わないし、持っていかないことも多い。大体、「麗しき」=「お天気のよい時にしか行動しない」?根っからの自称晴れ女を目指す私としては予め悪天が予想されるときは極力登山は避けるようにしている。大体、一人のことが多いので、安全のためもあるし、楽しみに行く登山が悪天では苦しみに変わるのはちょっとなあ。。。という発想からだ。また、本当の悪天では、一瞬にしてザックカバーは吹き飛んでしまうのも困ったもんだ。

ところが、最近では、天気の悪い時でなくても、ザックカバーを予めしている人が結構多い。まあ、スパッツの話は夏ならずっと履いていると暑いだろうなと、大変だろうなという感想があるが、、ザックカバーは特にしようがしまいがその人の勝手である。ザックが常にきれいに保てて、衛生上誠によろしいともいえる。また、パッキングの見てくれの悪さをカバーしてくれるのもありがたい話である。

ここで、面白いことは、この風潮がネパールのシェルパの間に浸透してきていることである。ネパールトレッキングに行った時に、全くの乾燥地帯で、からからで、埃だらけの道なのに、シェルパはザックカバーをして、お客様の荷物を運んでいた。どうやら、日本人が雨でなくてもザックカバーをしているのを彼らは見習って、
 日本人→お金持ち→おしゃれ!→カッコイイ流行→日本人のやっているザックカバーを常にしていること!
みたいな発想だそうだ。(これは現地の人に聞いた話)なんだか、とっても面白いなあって思った。現地の埃っぽい道は、埃だけでなく、たくさん動物の糞なんかもミックスされているから、衛生的といえば確かによいかもしれない。

ネパールのトレッキングの最後には、必ず何かお世話になったシェルパ達にプレゼントをちょっとあげる風習があるのだが、予め何度かネパールに行ったことある人は、日本からわざわざ着なくなったセーターとかあげている人もいた。私は、このときは持っていたザックカバーと軍手とグランテトラの水筒をお世話になったシェルパにプレゼントした。今頃、私があげたザックカバーは誰が使っているのかなあ〜〜??
                                            
(2003/01/09記)  



 第12話  東京都の山岳レスキューの話

東京都には最高峰で2000mをちょっと越す雲取山を始めとして、奥多摩の山々、高尾山域の山々と結構西の方は全て山に囲まれている。地方の人なんかだと、東京は23区しかないようなイメージでビルしかないように思っている人もいるけど、結構山が多い。

かねてから、東京都民の私としては、東京の山での山岳遭難はどうやった体制で行われているのかな?と思っていた。山での遭難救助といったら、「ピッケルを持ったおまわりさん」等の本で有名な富山県警とか、長野県警とかの高山をもつエリアの山岳レスキューの話でしか知らない。先日のプロジェクトXも剣の山岳レスキューでやはり本格的な山での話だった。

最近たまたま知人で、東京の山のレスキューの現場に何回か出動した人の話を聞くことができた。その人は東京消防庁の人で、実際には、御岳山(ケーブルで登れる山)や高水三山(初心者ハイキングの山で皇太子様ご夫妻も登られているだけあって、道は極めて整備されている)に行って救助したとのことだった。私は先頭には警察の方が率先してくるのかと思っていたら、実際は人命救助や怪我等をしているので、レスキュー隊員がいる消防がメインのようになっているとのこと。警察は人数も少なくて救助にはメインになれないんだそうだ。だから、消防に地元警察がくっついて行くみたいな形になっているという。基本は地元の消防隊員が対応して、本格的な比較的標高の高い雲取山や、特殊技術が必要な時は、予め指定されている山岳レスキュー隊員が呼び出されて対応にあたるとのこと。指定されている山岳レスキュー隊員は大体西の方の管轄署に勤務させておくようだ。

東京あたりの遭難って、どんな感じかな?って聞いたら「10数人でハイキングに来ていて、一人が骨折か捻挫して降りられなくなったからって、レスキュー呼ぶんですよ! 誰一人ヘッドランプも持っていないっていう有様。なんとか自分達でしようというような考えないんですよ。」せいぜい高水三山なら1時間かちょっとくらいで車道に出れるのにな。。。

くれぐれも事故を起こさないように心がけたいものである。
                                            (2003/01/19記)  



 第13話  平野の想い出

この間、御正体山に登った帰りに、すごく久しぶりに山中湖の平野に山から降りてきた。とても懐かしかったのは、実は学生時代に3日間だけ平野でアルバイトをしたことがあったからだ。たまたま知人から声をかけられて夏に3週間ぐらいバイトをしないかと言われたので、そんなに大変ではないというのでOKした。

ところが、とんでもないバイトだった。山中湖は当時はテニス合宿のメッカだったが、そこはそんなオシャレな話でなく、少年野球チームの合宿所として使われている民宿で、1チーム20〜50人位が父兄共々やってきて、3〜7チーム位がごちゃごちゃで大変な人数。たぶん少ない日で30名強。多い日で180名ぐらいのとんでもない人数を宿のおかみさんとバイト4人でさばかなければならなかった。

朝の5時半か6時から夜の11時ぐらいまで、休憩は食事をしている時間と、お風呂の時間と午後に辛うじて1時間ちょっとだけしか休む時間がなかった!驚くべき長時間労働!!午前中だけで食器洗いだけを3〜4時間ぐらい。午後も食器洗いだけで5〜6時間。他にお部屋の掃除、お布団の整頓、トイレ、お風呂掃除やら。。これだけ働いても、当時やっていた家庭教師の3時間分の日給だからやっていられない気分。

スキー場とかなら、休み時間に滑れるメリットあるかもしれないけど、山中湖では昼間も暑いし、唯一のメリットが夜に冷房をかけないで眠れることだけ。トホホ・・・

一番怒っていたのは、おかみさんは乳飲み子を抱えおんぶ紐で背負って仕事をして、さらにもう一人の小学校にあがる前ぐらいのお子さんの面倒も見て必死に仕事しているのを、ご主人は野球練習場までマイクロで送迎する仕事と「カルピスを少年のために作って持っていく」だけしかやっていないことだった。あとは少年野球の見学!あとは暇そうに新聞とか読んでいるだけ。

あまりに馬鹿らしくなって、3日で口実を作って引き上げてきた私はちょっと卑怯かもしれない。だけど肩の筋肉が3日間であまりの長時間の皿洗いで痙攣してしまったのだった。

同じ時期に軽井沢のペンションでバイトした友人は「あら、いまどき皿洗い機がない宿なんかあるんだ。人数も多くないし、お皿を皿洗い機に突っ込んであっという間。楽しいバイトだったわよ〜」なんて話を聞いて、ホントせめて皿洗い機ぐらい・・と今でも思う。そんなほろ苦い想いにかられて、平野の夕暮れの道をとぼとぼ歩いたのだった

                                               (2003/01/24記) 


 第14話  コールセンター勤務3年限界説

今日の日経の夕刊の表紙に、某文具会社のコールセンターの写真が載っていた。今とても急成長している会社で、私の勤務している会社も文具関係はアウトソーシングということで、ここの会社に発注する形になっている。

その写真を見ていて、約1年ぐらい前に、やはり新聞の記事で「コールセンター勤務の3年勤務限界説」という話を読んだのを思い出してしまった。記事の趣旨は「現在とても、コールセンターという形がもてはやされているが、実際は電話だけで臨機応変に次々とお客様の要望に答えなくてはならないので、極めて神経が疲れる仕事である。電話の何本に1本かは必ず苦情の電話である。3年もすると燃え尽きてしまう。その割りに給料体系もそんなによくなく、皆3年も勤めるとぼろ雑巾になったような気持ちで辞めてしまうものである」という記事の内容だった。

自分の当時の仕事は、コールセンターとは全く違うが、電話が休む暇もなくかかってくる職場だった。それが、コールセンターのような比較的定型的な話ではなく、全部切った張ったのものすごくシビアな話の交渉ばかりで、本当に神経の休む暇がなかった。仕事が終わると本当にげっそりの毎日・・・。それをずっと3年どころか、ウン年も続けてきた自分は、その記事を読んでなんだか自分のことのように感じてしまって、切なくなってしまったものだった。(涙涙・・・)山に行こうなんていう気力は相当に休暇が長いとかでないと、行く気分でなかった(本当に辛かった数年間はあんまほとんど行ってないものね。。。)

ちょうど約1年前に、ようやく少しは(といってもかなり電話は多い職場ではあるが)気分的にラクな職場に異動して、入社以来初めて、少しは気分よく出社する気持ちになれた。いつ元のような仕事に戻るか・・・。年々どころか、数ヶ月ごとに会社の方針も激動の業界にてコロコロと変わって、すごくシビアな状況ではあるが、登れるうちに、少しでも楽しんで山に行っておきたいものである
                                         
(2003/01/30記)  


 第15話  百名山の登り方

ADSL回線にしてから、ネットサーフィンで山の情報を集めたり、他の人のHPを眺めたりするのが楽しいが、先日はこんなHPをみつけてしまった。

たぶん歳のころから、リタイアかセミリタイアされている男性(推測)で、急に百名山を登ろうと決意されて、かなり短い期間で達成。普段からかなりトレーニングをされているような方だった。時間と金銭的余裕と体力があれば、確かに短い期間で100名山を登りきるのは理解していたが。。。。

なかでも、南アルプスの聖岳に日帰り登山をされているには驚いた。聖岳というと、私の中では一番登りにくい山深い印象。最近は車で奥まで入れるので、登ろうと思えばその日のうちに山頂に立ち、下山も可能と理解できなくもないが。とっても空しい登り方である。(その人の山行では、一つもテント山行自体がないのも印象的。)周辺の綺麗な重厚な山並みをじっくり歩くことなく、「一丁できあがり」みたいな感じではあまりに空しすぎないか(そりゃあ、全くの他人の勝手だけど。)車で入山するとピストンというのもわかるが、せめて山小屋で1泊するぐらいの余裕があってもよいのではないか?まあ、比較的麓から近い山ならば、一気にピストンっていうのはわかるし、万一の時も比較的安全だが、あんな南アルプスの奥深いところで何かあったらどうするんだろう?

確かに、荷物を持つと重たくなるので、スピード登山にはなじまなくなる。ヨーロッパのアルピニズム的には、スピードこそが安全であるという考え方がある。しかし、本当に大きな山になると、万一天候が急変するとか、怪我をするとか、体調を崩すとかの要素がありえるわけだから、いろんな体験をしておく必要があるだろう。ヨーロッパの登山の場合、実は山岳救助体系がすごく優れているという点も忘れてはならない。アルプスの登攀的な要素のあるところは、ヘリでの救出が当たり前。日本のような、樹林帯とは全く違うので、無線で山岳レスキューヘリを呼ぶことが当然だし、山岳保険をつけていて当たり前。ヘリでの救助体系はとても整っているようだ。また、登山とハイキングの明瞭な違いがあるので、そんなにむやみにハイカーが高山に入ってくることもない。

ところが、日本のような山だと、樹林帯が多いので、ヘリがそんなに着陸できる点も少ないし、ヘリでの救助体制も昔に比べるとよくはなってきているが、まだまだというところである。よって、テント山行もできるし、小屋泊まりもできるし、速攻日帰り登山もできるということで、初めて速攻もできるメリットが生かされてくるような気がする。特にテントで山に泊まると自然と一体になる、独特な感覚がとても素晴らしい。こういうことを、一度も経験することなく、百名山を登り切ってしまったというのはとっても、損?ということも言えるだろう。

多分、深田久弥さんは、聖岳の山頂だけを見て選んだのでなく、前後の深い山並みや素晴らしい景色なども含めて選んだんだと思うけど。今の百名山の多くがそういう登り方をされている実態を見ると、なんだか昔からのファンの自分はとっても悲しくなってしまうのであった。100名山ブームが始まる前に、100名山を登り切っていたような人達は、みんなそれなりの経験と試行錯誤を積み重ねて登り切っていたようで、100を登りきる頃にはいかにもイッパシの山屋という感じだったが。。。。いまでは、人によっては、マニュアル本だけを頼りに登っている人もいるし、便利なガイドツアー、バスツアーもあるので、それらのチョイスの工夫次第では(山の経験をの工夫を重ねてという意味でなく)遥かに容易に登れるようになったのである。

笑い話みたいな話だけど、私の山友達が、ある知人から「鹿島槍に登りたいけど付き合って」というので、「じゃあ一緒に登ろう」と知人。「五竜岳も(別の日に)登りたいんだけど、それもつきあってくれる?」「なんで、一緒に登らないの?」「だって、山は別じゃない」「え?山はつながってますよ。確かに八峰キレットはちょっと難しいけど、ザイル使うほどでないけど」

要は、地図とか全く見ないで、100名山ガイドブックのみで登り方を研究しているから、その本が縦走でなく、別々に取り上げていると、その通りにしか登らないそうだ。そういう人が、わんさか山を登っている時代になったものなんだ。登り方は人さまざまであるが、とにかく安全に、かつ実りある登り方をしたいものである

                                         (2003/02/14 記) 


 第16話  山の新ファッション発見!?

またまた、電車の中で山の新ファッションを発見しました?! どんなのかというと、以前「スパッツの謎」というのを書いたことあったけど、それの姉妹編ともいうべきもので、今度は、レッグウォーマーを履いて山に行くというものです。

早い話、スパッツがレッグウォーマーに変わっただけだけど。(レッグウォーマーを知らない人のために一応説明しておくと、
膝あたりからある靴下のようなもこもこした暖かいもので、但し足の部分がないので、靴は普通に履けるので通常より分厚い靴下みたいなものです。ズボンの上からつけるもので、以前はダンスをする人なんかで流行っていたし、町でも流行があったけど最近はあんまりは見かけない。)これを、これからハイキングに行こうという女性達が何人かしているのを見かけたのでした。雪が少しありそうという山よりも、ひだまりハイキングに行かれるような方々だったので、なかなか暖かそうでいいなあって思いました。

中高年になると、やっぱり足とか冷えるから保温のためと、ちょっとしたオシャレのためもあるのかなあ?お手製で編んだ毛糸の人と、フリースみたいな人とかいましたね。街でレッグウォーマーは目新しくなく、ちょっと流行遅れ?っぽいけど、山でレッグウォーマーはちょっと新鮮に写りました。

☆以前「スパッツ謎」でコメントしたことだけど、スパッツをつける手間を事前に済ませておこうという話と山の団体登山の話を絡めて書いたことあったけど、実は身近な話で、私が加入している(実質私は幽霊会員みたいだけど)山岳会の会報で、新人で雪山ハイキングが初めてで、スパッツつけるのも初めてという方が、エッセイで「スパッツをつけるのに時間がかかってとってもゴメンナサイ」というとても恐縮したような文章を寄せていた。10名ぐらいでハイキングに行ったようだけど、やはりスパッツをつけるのに手間取ってしまったようで、こういう気持ちが長じると、電車の中までで全て済ませておこう式の発想にやっぱりなってしまうんだろうなあ・・・・と思った次第です。
                                      (2003/02/26記) 



 第17話  ユーミンは私の青春そのもの・・・

今日NHKのテレビでユーミンの特集をやっていた。大体テレビに出ない方だし、コンサートに行くのには、本当は行ってみたい苗場のコンサートなど大変な競争率を勝ち取らないと駄目なので、今まで本当のステージを見たことがない。

自分は中学生ぐらいからのファンで、特に高校生の時からは当時はカセットテープを全部ダビングで揃えてよく聞いていた。学生時代を通して、本当に大好きだった。

特にユーミンは八王子の出身で、八王子の呉服屋さんでは一番大きい荒井呉服店のお嬢様だった。(八王子は古くから織物の町で伝統産業なのだ)成人式の着物の宣伝にはよくDMが入ってきたっけな。甲州街道のメイン通りにお店を構えていて(今でもあるかなあ?)よくバイトの時にその前を通ったものだった。多摩美大の出身というと、それはほとんどうちの裏山みたいなところの大学だし。それに加えて一番親近感を持っているのは、彼女は八王子から杉並にある立教女学院に中学と高校を通っていたんだけど、私もやはり八王子から都心の高校に通っていて、なんか多摩川を渡るたびにユーミンの歌を思ってしまう気がした。彼女の歌の中でも景色的な描写なんかを聞くと、そうそう、なんて思ってしまう。本当の都会の真ん中に住んでいるとこういう感覚にはならないよね・・・なんて感じで。

大好きなユーミンの歌を急に聴けなくなったのは、約10年弱前のこと。高校時代から一緒に山に行っていた先輩とは、いつもユーミン話をしていて、テープのダビングを何度となく頂いていた仲だったが、急にある日突然、彼女は病気でこの世からいなくなってしまったのだ。本当に辛くて、しばらく彼女と一緒に行った山とか思い出のところには足を向けなくなった。残雪の蝶ヶ岳に行った時なんか、前に一緒に高校の夏山合宿で同じ景色を見たのを思い出して、白い槍穂高連峰を正面に見ながら涙があふれそうになった。ユーミンは、最も想い出があるので、今でも涙が出てきてしまうことがある。

今日のテレビはそんなわけで、久々にじっくりとユーミンを味わったけど、やっぱりいいなあ〜〜って思った。自分の青春そのものって感じでした。「スタンダードとして、世に曲が残れば・・」とユーミンは言っていたけど、もう何曲もスタンダードって感じだなあってつくづく思った

                                            (2003/03/08記)  


 第18話 今日は記念すべき日?!

今日、MINMINは入社してウン年目にして、初めて自分の勤めている会社の社長様のお顔を実際に拝見した。下々の者にはめったにありえないことなのだ。たまたま本社のビルが近くにあるので、たぶんちょっとだけうちの部長のところにお顔を出されただけなのだが。。。。

最初は単にゴルフ焼けかなにかで、顔の黒い取引先の方かな?なんて遠くに見えていたが、部長や課長の顔や仕草がいつになく丁重なので、変だな?とよくよく見ると、社内放送のテレビや印刷物などでよく見かけるお顔で、はては誰だろう?? 「あっ、社長だ」と驚き、思わず、近くの人に教えてしまった。みんな入社式以来とか、そんな人ばかりで。私の場合は、本当に初めてのことで、過去の社長も含めて、これで最初で最後?かな。

正直、些細なことだけど、ここに記念って書いておけば記憶に残るかなって思って書いておきます。
                                           (2003/04/04記)  
        


 第19話  山でかぶる帽子の話

一般に、帽子を被るのが比較的好きな人と、あまり好きでない人とに分けるとすると、私は後者の方。若者の間では夏でも毛糸で編んだような暑苦しいような帽子を被っている人を見ると、本当にどうなっちゃっているんだろうと思う。

山では、防寒のため、暑さをふせぐため、紫外線をカットするため、雨よけのため。。。。などで、必要に応じて被る必要がある。といっても、私はあんまり好きでないので、極力避けるようにしている。山を登っていると、頭が熱くてたまらない。雨よけに珍しく買ったゴアテックスの帽子は、やっぱりゴアだけあって、たまらない。小雨が降るような感じの時にはいいけど、それでも、だったら折畳み傘をさして歩いた方がいいと思ってしまう。冬のスキーでも、極力帽子をかぶらなくて、しようがないときはフードを被っていた。最近はさすがに寒さには弱くなったせいもあり、フリースの帽子がなかなかよいので、気に入って被るようになった。でも、もう3月の春スキーだと暑くて脱いでしまう。

あるとき、夏山から帰って、数日したときに、職場の背の高い男性から「大変だぁ〜!」って言われた。巨大な ”フケ” が頭を覆っているというのだ! よくよくそっと持ち上げてみると、なんと頭皮が見事なまでに日焼けのためにうきあがっていた。そっと持ち上げると頭皮が髪の毛の毛根の穴をぶちぶちとしながらも一枚の皮みたいにぺろんと取れた。えらく周りからは驚かれてしまうし、フケみたいに本当に見えるので、それからは極力頭のてっぺんを焼かないようにするようになった。

夏山で帽子をかぶると、本当に暑い感じがして苦手であるが、バンダナは好きなので、なるべくバンダナをそれからは陽射しのあるときには極力頭には巻くようになった。襟元には別のバンダナを巻いて、襟元の日焼けを防止するようにしている。

どちらかというと、男性は年と共に帽子が好きになる人が多い?ような気がする。女性では、ゴルフ場のキャディーさんが被るような、後ろまでひさしが広く、襟元を焼かないような工夫がされたキャディー帽ともいうようなものも被っているひとも結構いる。日焼けは皮膚には大敵なので、しようがないかな? 

素直に帽子を抵抗なく、暑いと感じることなくかぶれるといいんだけどな・・・。皆さんはどうなんでしょうかね?
! 
                                           (2003/04/15記)  


 第 20話  連休と仕事と

今回の連休はカレンダー的には飛び石に前半がなってしまったが、幸いなことに飛び石の中日を休暇をいただき4連休。結果としては山は3日間で帰ってきたが、1日はゆっくり家で休養ができた。

会社に入社してから、十数年、本当の意味で連休の時に気分的にこんなにリラックスできたのは、初めてかもしれない。というのは、ずっと今までしてきた仕事というのは、連休明けの仕事の量が半端な量じゃない、壮絶な戦争状態のような様相を呈するからだ。連休明けに出社するのが本当に気が重くなるような感じがずっとしていた。

お正月、GW、お盆明けというのが特に大変。万一会社なんか休もうものなら、大目玉。電話がつながる時間は、トイレに立つ暇が本当にないぐらいの忙しさ。鳴り響く電話、それを呼び鈴が1コールぐらいのタイミングで受話器を取らないと、叱咤される厳しい環境。山で疲れてヘロヘロして、2コール目ぐらいで電話を取ってしまったら、大変な嫌味を言うお局様まで居て本当に大変だった。電話の内容も、皆殺気立ったり、とても神経を使うものばかりで、ほとほと仕事とはいえ心底疲れ果ててしまう。

こんな状態では、連休にとてもハードな山を目一杯計画しようという気は全く起こらなかった。もちろん、山は好きなので余裕第一で、ほぼ毎年残雪の山にGWには1回は登って来た。

現在、連休の合間だけど、今の仕事は連休後でも特に電話が多くなることもなく、いったって平常。これこそが、私がずっと望んできたものだ!って心から喜んでいる。

対照的に、同じフロアのすぐ向こうのエリアには私が去年までやっていた仕事の内容と同じ仕事をしている部門の人達がいて、今日は昼食に誰も席を立てず。ずっと仕事を昼食の時間もやっていて、お弁当を自分の席で食べていた(いつもは、別の部屋に食べに行っているのに。) 何故、みんな食事しないのかなあ?と、その仕事をしたことないノーテンキな私の同僚がしゃべっていたが、それは体験してみないと大変さ、厳しさ、緊張感は絶対にわからないものだろう。

とにかく、今年は連休明けの仕事の山の恐怖というプレッシャーから解き放されたので、同じ山に登ってもこんなに幸せ〜♪と感じる自分が、とっても嬉しい。いつ、また、恐怖の仕事に戻るかわからないから、今のうちに大いに楽しんでおこうと思う。

                                            (2003/05/02)