ときどき日記6
●2003/06/07 今シーズンの山スキー総括 |
山スキーを再開して2シーズン目が終わった。まだまだ初心者の域を脱せないが、それなりの成果が出てきているようなのが嬉しい。少し振り返ってみると・・・・ まずは、今シーズンは山スキー用具の全リニューアルを実施。 山スキーセットとシールの交換までを当初予定していたが、ブーツが八甲田でソールが剥がれかかり、脚にも当たるのが辛かったので、これを自分の足型のサーモインナーのブーツに替えたところ、今までの兼用靴の歩きにくさが取れて、スイスイ歩ける感じになった。 山スキーは登りも滑りも用具の力に負うところが大きく、去年苦労して登れなかった斜面も、シールとビンディングのお陰で随分ラクに登れるようになってきた。滑りも、ビンディングの安定感はやはりディアミールは最高!なんで、ゲレ板のビンディング(サロモン)と同じ感じで滑れる。ブーツはゲレンデのブーツはラングだが、そこまでの堅さはないが、歩きやすい点を評価すると満足な感じである。 あとは、どこをいつの時期に滑るかというのが、ちょっと今年はうまくアレンジできなくて、あと2、3本は滑りに行きたかったのに、とても残念であった。調子が出てきたあたりで、来シーズンっていうのはつらいなあ・・・・。どうしても、山スキーには最適の3月から4月上旬ぐらいの時期が、仕事が忙しい時期でもあり、なかなか夜行で行くのが辛い。GW明けは、雨が降ったり、風邪を引いたりと、なかなかもったいないことをした。 来年は、このようなことも踏まえて、12月〜2月までの比較的早い時期に、ゲレンデ練習も兼ねて神楽峰等の近場で練習をして、また深雪の八甲田もこの時期に行きたい。3月からは、もう少し山らしいところに行き、4月には、できれば道路開通次第、来年こそは早めに針の木に行きたいなあ。。。 お買い物面では、クトー(スキーアイゼン)の購入と、軽量なアイゼン購入を計画している。またGPSを使えるといいなあと思っているので、無雪期から導入していこうかなあ・・・・って考えているところである。 少しずつでも、進歩があるというのは嬉しいものである。今年は念願の真砂沢を滑れたし、来シーズンは、幾つ念願のコースを滑れるか楽しみである。 |
●2003/06/07 ドリームジャンボ宝くじ |
私はごくたまに宝くじを買う人で、それも毎回とかでなく、気が向く時のそれもドリームジャンボみたいな時にたまに買うぐらいである。 今回は、金曜日の日に、ようやく7ヶ月にも及ぶあることが無事終了して、やれやれというお祝いすべきことがあり。さらに、全く別の件で、この2ヶ月間ぐらい関わっていることが無事に方向性の目処がたったという2重のおめでたさ。(ちなみに、仕事じゃないよん) よって、こういう良い運の時に、運だのみである宝くじを買うというのはいいことだというのを、何かで聞いたことがある。それでドリームジャンボの最終販売日であった6月6日大安吉日に購入したのであった。枚数は少ないけど、ささやかな夢である。 昔、年末ジャンボを職場でまとめ買いというのを10数人でやっていたことがあった。職場は、知る人ぞ知る、かの有名な宝くじ売り場のまん前の都内某所にあったのだった。毎年やっていたが、いつもくじを買いに行ってくれる人は、評判のくじ運の良い大変美人な方だった。彼女が毎年買ってくれていたお陰で、儲けるまではいかなかったが、絶対に自分で買ってもあたらない、5万円ぐらい?とかのある程度まとまった金額がコンスタントに当たっていたのだった。配当率は自分で買うよりも断然よかった。 ところが、たまたまある年だけ彼女がお休みしてしまって、別の方が買いに行ってくれた年だけは・・・・・大変に買いに行ってくれた本人には言えないが、いつもの年の半分ぐらいしかお金が戻ってこなかった。 やっぱり、くじ運ってあるんだよね・・・。あやかりたいものです!! |
●2003/06/13 飯豊の怪談話 |
この前、飯豊の縦走の話を少し書いたけど、ちょうど思い出したので、そのときのエピソードを少し・・・。 飯豊縦走は、石転び雪渓を登り、稜線に出た後も、かなり雪が多く残り、梅雨明け直前ぐらいの時期で、縦走路がわかりにくいところが多かった。連日ガスがかかっていることが多く、お日様をほとんど拝めなかった 二日目にテント張ったところは、御西小屋だった?と思うが、大日岳を往復するのも、迷子になりそうで、ガスも割と出ていて侘しい感じ。。。。幾つか遭難碑を拝んだり・・・。 昼のうちに水汲みに行った。水場はやや窪地で地形がわかりにくかった覚えがある。それでも、昼間だったので問題はなかった。夕方遅く到着したパーティーがいた。その人達は、暗くなってから水汲みに行った。「まだ、戻らないか?」「まだだよ」という会話に始まって、「探しに行かないか?」「行こう」・・・・「おーい!」「おーい!」名前を連呼する声が夜のガスの濃い空間に響いた。 我々は、早くから寝ていたが、そのうち隣のパーティーの大騒動に目がパッチリ。とても、寝ている気分ではない。ようやく、ぜーぜーというすごい疲れた息をした人達が、私らのテントのそばを通って、テントに無事に帰還(隣の我々も本当にほっとした。もう少しで応援に行こうかと話していた) ところが、それからが、何故か皆、我がテント内は全員亡霊?のような足音に悩まされることになった・・・・ ザク、ザク、ザク、ザク・・・・・ テントの周りを回るような足音のような音がずっと続く。 怖いっ〜〜〜〜 ますます目が冴えて、冴えて。明るくなるまで、ずっと足音のような音が聞こえた。怖くてテントの外に出る勇気はなかった。金縛りに近い感覚だった。 ほとんど眠った気がせず、翌朝、誰ともなく、その話が出た。「私も」「僕も」・・・・ 同じテントの人は皆その<音>に悩まされていたのだった。 新田次郎の短編小説に、確か「風が死んだ日」というのがあるが、同じテント内での心理状態の話がある。小説は双六小屋のテンバの話だが、まさに同じような体験である。今でもやっぱりあの時のアレはなんだったんだろう?って思っている。 |
●2003/06/19 高齢化社会 |
ここのところ、身近なところで高齢化にまつわる話が幾つかあったので、少し触れてみたいと思う。 最初の話は、私の勤務先の会社の話。会社は、第二の人生の中高年の方々を戦力として生かし、かなり積極的に引き受けている。うちの部署だと50〜60台前半位までの方が結構いらっしゃる。6月末に一人定年退職される方がいるので、その後任として、50歳そこそこの方を2ヶ月前から研修漬けで大切に育ててきた。さあ、いよいよ担当を持たせてという矢先、突然急に退職が決まった。 その理由が介護によるものだという。実母が、ボケと徘徊が始まってしまった。しかし介護認定だと、1とか2の軽い部類らしい。一番の問題は、一人息子である彼の顔しか判別できないことだ。もっと重い介護認定度だと、施設での受け入れができるが、この程度では、ごく軽い介護しか頼めないという。彼の顔しかわからないので、ヘルパーさんを頼めない。親戚会議で、お前が面倒をみろとなってしまったという。まだ、子供さんが小学生と中学か高校ぐらいで、これから教育費がたくさんかかるのに。本人は仕事をしたくてたまらないが、やむなし。在宅で面倒をみながら、奥さんの方が働きに出ることになりそうだ。 もう一つの話は、仕事でたまたま知った話だが、故郷の母親が癌にかかってしまい、東京で就職していた20代の息子が看病のために退職。3年ぐらいの看病の末に母が亡くなってしまい、気落ちしてしまい、再就職をできず。30代半ばにもうなってしまったが、ここ何年もフリーター生活を送っているという。父親は単身赴任で母親とは少し離れた場所に住んでいた。家族の事情なのであずかり知らない部分も多いが、前途ある若い人が将来を捨てて、ちょっと? 夫婦があまりうまくいっていなかったような話をチラときいたが・・。考ええさせられる。。。 最後は、先日私が友人宅の新居祝いに行った際の話。見事に全部バリアフリーで感激した。段差がないフラットな床構造、廊下等のスペースが車椅子対応のため幅で約10センチ強は広くできている。手摺の設置や、玄関では靴が履きやすいようにいすの設置、またスイッチも手の力がなくても押しやすいような形状をしていた。いまどきの家は、人に優しい〜と感心した次第です。 今後は高齢化や介護の話が身近でもっと増えてくるだとうなあと思ったこのごろです。 |
●2003/06/23 救急車騒動 |
先週の金曜日、職場の同僚の女性が、職場の隅で倒れているのが発見された。すぐに、職場の一番の女性リーダーが119番をした。ビルの入り口の1Fで待っていて欲しい、5分ぐらいで到着すると救急隊に言われたので、その先輩は直ちに1Fに降りていった。 倒れた彼女は、一時は遠目では意識もないぐらいの感じだったが、3分ぐらいしたら少し震えるような感じと、すごく息苦しそうに息をしていて、意識も戻っているようだった。彼女の倒れた場所は、シュレッダーとファックスを置いてある職場の一番狭い一人しか入れない50センチぐらいの隅間だったので、下手に動かすこともできず。それで介護する人も一人しか入れず。それでも毛布とか、濡れタオルとかを差し入れて、救急車が来るのを待っていた。 あまりに救急車が遅いので、私も救急車を迎えに1Fに降りていった先輩のところに行くことにした。意識は戻ったが苦しそうなことを伝えるために。一人よりも二人の方が救急車を間違いなく誘導できるかなあと思ったので。やっと救急車のサイレンが遠くから聞こえた時の嬉しさ! それでも、金曜の夕方で大手町界隈の道はすごく混んでいて、救急車も渋滞にはまってしまって、わずかの距離で見えているのにすぐに車が来れないもどかしさ!ビルの警備員さんと先輩と3人で手を振ってようやく救急車到着。それにしても、ビルの到着まで恐らく10分近くがかかった!! ストレッチャーが2mはあるので、ビル側も緊急エレベーターという、手動で操作する特別大きなエレベーターを用意してくれて案内された。やっと自分のフロアーに到着したものの、なんとエレベーターのドアが開かない!超パニック!必死で操作するが開かない。ビルの管理人も操作に慣れていないのだ。(情けなや。救急隊員にエレベーターの操作を聞こうとするおかしさ?さすがに、救急隊員もエレベーターの機械の操作まではわからないと答えていた。)なんとかエレベーター内設置のインターホーンで開かない旨を伝えた。緊急用なので、冷房もついていなくてむっとするほど暑い。こんなところに長くいたら、大変である。 1Fに再びエレベーターを戻してもらったが、それでも扉が開かない。「ドン、ドン、ドン、開けてください!!」と先輩と私で扉を叩いて大声で連呼してようやく脱出。結局普段私達が使っているエレベーターに案内した やっと、通常の私達の使っているエレベーターにストレッチャー(長さ2m、寝台となるところは大体腰の位置ぐらいの高さに設定されていて、誰がみても病人を運ぶものとわかるもの)を入れたら、ちょっと斜めにしただけで、無事に入ってヤレヤレ。 それに、救急隊員3名と私と先輩の計5名がエレベーターに乗り込んだのでした。通常のエレベーターなので、止まる階があるのですが、これになんと、乗り込もうとする人がいるには本当に驚きました。確かにあと2名ぐらいは乗れるスペースはあったのですが、こういう事態を見ても、乗り込もうとするとは。。。。 その度に、「今緊急ですから・・」と私と先輩でお客様にお引取りを願った次第です。もちろん、様子をみて、暗黙のうちに了解をされた方々もいらっしゃいましたが、結構、複数のフロアーで、複数の人がやや強引に入ろうとする仕草を見せたには驚きました。やれやれ、あんまり上の階でなくてよかった〜〜。 結局、相当な時間が経ってしまったけど、なんとか救急車に載せて、職場の上司と別の女性社員が付き添って、都内某有名病院に運ばれてほっといたしました。(それに、3時間後ぐらいには、大分顔色もよくなって、無事に職場に戻ってきて一同ほっとした次第です。) 今回、救急車が遅れた理由は、後で聞くところによると、私の会社の入っているビルの名前が、リストラで統合されて新たな会社名になり、ビル名も変わったばかりだったので、救急車が少し道に迷ったようでした。古いビル名ならば、誰でもご存知な有名な会社なので、救急隊もそちらならばすぐに分かったようでした。(私の会社は単なるテナントなんで、あまりビル名は意識していないのでした。今後は、旧何とかビルと言った方がよさそうだと認識を新たにいたしました) それにしても、救急隊員は、「意識はあるのか?」「意識を失っているとしたら、どれぐらいの時間なのか?」「持病やかかりつけの病院名、薬などがわかれば教えて欲しい」ということでした。NHKでやっている、ERという救急救命のドラマではないけど、切迫した感じで、「あーこういうことを聞かれるのかあ。。。」って納得しました。私や先輩は彼女の大よその持病等は知っていたので、やはりある程度健康のことについては、職場の人にある程度知らせておくのはよいことだと認識しました。 |
●2003/07/01 ボディーガード |
先日、私の通勤途上にある某大手外資系会社の本社ビルの前での出来事なんだけど、ちょっと映画の1シーンみたいのを目にした。 その本社ビルのちょうど前の歩道のところ。どこからともなく現れた、荷物をキャリアーに積んで運んでいる男女2名の会社員風の人がタクシーを止めた。それが、そのビルの駐車場から出てくる車の通路をふさぐような形であった。荷物をタクシーに入れたりする関係でちょっともたもたしていた。 いつもその外資系の本社ビルの外には常に2名程度の警備員が立っている。1名は、車の出入りをチェックするのが専門だ。 そこに、ちょうど、その本社ビルの地下駐車場から高級外車が音もなく、すーっと走行してきた。ベンツでなくて、たぶんあれは、ロールスロイスかな?濃紺のいかにも高級車だった。中はほどんどシールされていて見えなかった。恐らくその会社の上級幹部の乗った車なのだろう。。。。顔パスですっと近づいて警備員さんも全く中をチェックしなかった。 次の瞬間、警備員さんが、とっさに車に近づき、窓のところで中の人を守るような位置に立った。要は、タクシーが結果として車を止めるような形になったから、それはまずいと判断して要人を外から守る窓の位置に立ったのだ。タクシーに早く行けというようなジェスチャーをしていた。 その瞬間、これって、映画によく出てくるようなシーンだなあって思ってしまった。狙撃事件とか、暗殺事件とか、そういったシーンでは、よく車を90度に角付けして止めて、前をふさいでバンバンバン。うーん、そのシーンを予測して回避措置を行ったみたいの動作だった。 なんか、いつも見慣れている警備員さんが、まるで映画のボディガードみたいに見えてしまった! ちょっとカッコイイというのか、さすが外資系のリスク管理だと思った。(恐らく、それ相応の外注の警備会社を雇っているのだと思うが。) 前回書いた(6月23日日記分)ような、私の会社が入っているビルの純国産企業の、ちょっと鈍くさい警備員さんとは違うなあ〜〜と思ってしまった。 昨日の夜中に、この日記を書いてから、今日またよくよくその外資系の本社ビルを眺めたら、警備員は、外に3人もいた。車の出入りを最初にチェックする場所に1名、奥の方に1名、さらに、手前の別の目立つ位置に1名と。ビルの中の1階には、当然ガラス越しにも見えているが、2名はいるみたいだ。やっぱりセキュリティーには相当気を遣っていると思った。 さらに、そうやってよくよく見ると、こういうビルの常駐警備なんかだと、無線を付けてるのなんかはあまり見かけないが、しっかり腰に無線がついているのも見てしまった。うーん、こりゃあ、何かあってもすぐになんとかしてくれそう?! 私の勤務先は場所柄、大きなビルが多いが、ビルの外にまで警備員を置いているところは少ない。駐車場の関係で1名置いているぐらいの場合はいるが、1階の内部のエントランスには普通2名程度は置いているが。。。。やっぱり外資系、それも標的となりやすい米国系だからそこまでやらないと、危機管理しているとはいえない感じなんだろうな。。。。 やっぱり、日本企業はそこまでしていないというのは、日本はまだまだ安泰というのか、のんびりしているせいなのかもしれない。絶対にビルが標的なんかになって欲しくないと思った。 そう思いつつ、昨日はたまたまウン十年前に赤軍派によってビルが爆破された三菱重工本社ビルの前を通過した。やっぱり、外には警備員さんはいなかったなあ。。。 多くの人が亡くなり、怪我をされた事件も随分たったものだ。あの事件のことも、知らない人も多くなったんだろうなあ。 |
●2003/07/06 間違い電話 |
ここのところ、間違い電話や、セールスの電話が多い。電話帳にはもちろん電話番号は記載していないが、それでもいろんなところから電話がかかってくる。 大体24時間留守番電話を設定しているので、本当に必要な人にはその旨を伝えてあるので、ちゃんと録音してくれるので大体折り返し電話すればそれで済む。それに友達ともメールがあるのでそれで事足りることが多い。だから、休日ゆったり寛いでいるときなんか、以前は無視して家に居ても居留守電話にしていた。 ところがである!! 最近はものすごく盗難事件が多いが、電話で予め在宅しているかを確認して、留守がちの家にめぼしを付けておき、それで実際に入るかどうか決めるということが一つの手口とされている。またオートロック機能のマンションでは建物入り口の所のインターフォンがあるので、それでセールスや宗教団体を装って各戸に電話しまくるらしい。大体、そんな呼び出しをまともに受けてドアを開ける人はいないので、彼らもガチャンとされるだけで、効率的な仕事である。下調べ係の人が、郵便受けのところに不在がちの家に特殊塗料を塗っておき、あとで特殊なライトを当てるとその家はお勧めの家だということがわかる暗号になっているという。こんなことが、我がマンションの掲示板に貼ってあって、各自不審なマークがないか、変な電話がないか十分注意してくださいとのこと。(私の地域のマンションは窃盗団に狙われていて、何度も被害にあっているところである。) こんな具合なので、最近では無視していた電話やインターホンの呼び出しにも、ちゃんといることがわかるように出るようになった。やたらと不動産会社のセールスが多いのがネックであるが、話しだすとすぐわかるので、がちゃんと切ってしまう。(特に国立市の日照権問題で東京地裁で敗訴したマンションのセールスは何度もかかってきて、ひどかった。) ここのところは、不動産絡みは一休みで、何故かおばさんのような人の声の電話の掛け間違えが多い。自分の場合、自分の名前は名乗らないことにセキュリティー上している。誰の家にかけているの?って聞くと全然違う人の家ばかり。さらに驚くことに、6年ぐらい前からこの番号を使っているのに、まだ前の所有者らしい人にあてた電話がかかってくるには驚いたもんだ。 職場では本当に電話が多いので、家にいるときぐらい平穏な時間が欲しいものである。 |
●2003/07/10 いろいろな会話 |
ここのところ、たまたま金融機関の関係の窓口の人やコールセンターの人と話す機会が何度もあって、面白かった。 昨日は特に爆笑してしまうほど内心面白かった。 というのは、数日前にある金融関係の制度についてのご案内という封書が某金融関係の会社から届いていて、ちょうど届いた頃合いを見計らって、コールセンターみたいなところから連絡があった。ちょうど私も、説明を読んだけど、よくわからない点が2,3あったので、聞いてみようと思って質問をしてみた。ところが、その会社の人にとっては簡単そうなことなのに、全然答えられない。情けない声で「少々お待ちください。」と言ってしばらく電話が保留になる。やっと質問の答えが出た。もう一つの質問も全然難しくなさそうなので、聞いてみると、これまた保留音になって誰かに聞いて慌てて答える様子。3つめの質問も哀れ、彼女はわからずでまたまた保留。別にいじめている訳ではないけど。。。 一応回答がわかったので、こちらとしては役に立ったのでよいが、それにしてもあまりに対応がたどたどしいので、ちょっと彼女に「新人さんですか?」みたいに聞いたところ、「契約社員です。」とのことだった。今日、たまたまそれに関連することが私の取っている新聞の一面に載っていたので、ははん!って思った。要は、単に契約を増やすために、書類を返信して欲しいという売り込みと、本人証明の書類(免許証)などを必ず同封してほしいということを伝えるためだけに雇われているような人だったのだ。 それにしても、会話がおかしくて、「少々お待ちください。」「さようでございますか。」を連発されて、前者はまあよく使う言葉だけど、後者はあまりにたどたどしい態度でしゃべられると白々しくて、爆笑ものです! 彼女の恐らく普段しゃべっている感じの会話と大分違うので、慇懃無礼、とってつけたようなマニュアル用語をそのままマニュアル本通りに読んでますというのがあまりに見え見えなので、ついつい可笑しくなってしまったのでした。 同じ言葉を使っていても、すっ〜となじむような感じで言われると、<納得!いい感じだなあ>って思うのですが。人のしゃべっている様子をみて、自分にも参考になることが多いので、勉強になりました さて、別件で、某金融関係のコールセンターに電話をした時のことだが、担当の人はコールセンター調の割と定型的なしゃべりではあったが、なかなかうまかった。ルール通りにある程度情報を聞き出して、それに対応するのだが、レベルが高かった。的確に誘導してくれて、相談に対しては、幾つかの情報提供をしてくれた上で、確実に有効な提案をしてくれだ。また、自分が予想していなかったようなこともさり気なく教えてくれて、とても満足度が高かった。 結局、幾つかの選択の中からその某金融機関を選んだ。その後は、窓口の担当者の話になるが、こちらは実際にお会いして、会話もぐっと自然な感じで、より親身に色々と相談に乗ってくれた。コールセンターの人のような、マニュアル通りの丁寧さはないけど、十分誠意を感じさせてくれるものだった。むしろ自分はこちらの方により共感を感じた。 自分の仕事に重ねてみると、やはり定型的な事案をやっているわけではなく、臨機応変なものを求められているので、会話の感じは最後に述べた窓口の感じのような感じがいいかなあ?と思ったりした。(私の場合は窓口ではなく、電話で対応だし、仕事の種類も違うが。。。) なかなか会話というのは難しくて、相手に合わせることが一番である。それを電話の向こうの相手を想像しながら行うので、かなり神経を使う。 実は、私の職場にはかなり丁寧な口調の女性がいて、声も大きく、よく内容が聞こえる。以前から私は何となく丁寧だけど、彼女の押さえつけるようなしゃべり方に違和感を感じていた。ごく最近、同じ職場に異動してきた友人が「彼女のしゃべりは、担当している下町のおじちゃん達には不評だよね」とあっさり言った。友人は同じ下町のエリアを長く担当しているだけあって、下町のおじちゃん達には、もっと親しみをこめたしゃべりの方がよいとズバリと指摘。なんとなく、私が感じていた違和感を友人も感じていて、「疲れるしゃべりをする人だよね」ってポツリ。仕事熱心な真面目ないい彼女なんだけど。。。 やっぱり会話はTPOを踏まえて話すというのが、一番大切で、かつ難しいところだろう。人のフリ見てわが身を治せということだとつくづく感じるこのごろである。 |
●2003/07/23 歳の差なんて、と言うけれども・・・・ |
会社のお昼休みの話題でA子さんが、秋に長期休暇を取ってフランスのニースに行くという。(夏休みはない会社なので、好きな時期に5連休を取れる) へーえーおしゃれ!何で突然またニースなの?って聞いたところ、「友人のお姉さんで、ごく親しくしている人が今度ニースで結婚式を挙げるので、その付き添い」という。 ニースというと外国のお金持ちが豪遊する地中海沿いの風向明媚な場所という認識はある。海外ウエディングはとても最近多いけど、ハワイとかグアムとかオーストラリアなんかはよく聞くけど、いきなりニースとは!!新婦は30歳。実は、新郎の方が長く前妻と別居状態にあった方だった。ようやく離婚成立する頃に知り合ったのが彼女で、新郎は50歳! 会社をやっている方で、とてもお金持ちだという。社長と部下という形の職場結婚である。20歳年上の人との結婚も勇気あるけど、まあ女性の方も30歳なのでよくよく考えた上でのことでしょう。それで、ちょっと離れた場所でこじんまりとした式を挙げたいという。 その話でひととおり盛り上がったところ、今度はB子さんが、それならばといって持ち出した話題が、なんと知人で22歳の女性が52歳の男性と結婚したとのこと!!!! フェラーリとベンツを持っている新郎で、とても若若しく10歳以上若く見える超超お金持ち!! 新婦のお父さんが47歳なので、父親よりも年上の人と結婚するんだって〜☆★☆★ 先妻の息子の歳が27歳なので、「息子と結婚した方がいいじゃない?」って声が専らだった。 これから何年か経つと、子育てと夫の介護の問題を抱えて大変になるだろうなあという声が聞こえる。お金持ちだから仮にお金で解決できることならばいいでしょうけど。なんだか、色々と他人事ながら考えてしまう。あと10年ぐらいはいいだろうけど、将来的に真剣に骨肉の争いなんていうことにならないといいけれどもね。。。。 20歳の歳の差ならばよくて、30歳ならば悪いという訳ではないけれども。。。。 まあ、後者の例のご本人はあんまり深く考えていないのかもしれないが。なんだか、今の世の中はお金さえ出せば、ほいほいとついて行っちゃう小学生4人女児監禁事件みたいな世相でもあるので、なんとも・・・・。 なんか幸せな話なのに、そんなことを発想しちゃう私って良くないのかなあ。。。。 ★後日談★ ニースの結婚式に参列した写真を、後日A子さんが会社に持ってきて、みんなでわいわい、がやがや。。。。と写真鑑賞。新郎は確かに50歳というよりは、やはり10歳近く若く見える。どれぐらいお金持ちかわからないけど、新郎側の日本から呼んだ出席者が驚き! 日本を代表する某メーカー(オーナー色が未だに感じられる巨大企業)の親族の人だった。長男などは、その会社の社長や重役だったと思うので、末の方の弟さんなのだろうか?そういう方とお付き合いがある新郎さんは、やっぱりタダモノではないということでしょうネ。 |