ときどき日記 その3





 第21話  山であさりのお味噌汁

今朝あさりのお味噌汁を飲んでいたら、ふと随分前のことを思い出してしまった。

というのは、自分にとってのベスト1のあさりのお味噌汁というのは、今から15年ぐらい前に北海道の山旅に行った時に食べたものだからだ。その頃、大学の山岳サークルのOGとして、後輩のたてた大雪岳〜トムラウシ、雌阿寒岳、羅臼岳、利尻岳の一連の山行に参加。大雪岳〜トムラウシは、その年は大変な冷夏で、全く雨とガスで山は視界が悪く、予定通りに全く進めず白雲岳で泣く泣く断念。遥かかなたのトムラウシを望めたのはほんの一瞬。テント3張り分ぐらいの人数で行ったが、後半に行ったのは私を含めて3人。

かなり雨でたたられていて、寒くて精神状態も落ち込み気味。大雪から下山してから、なんとか釧路駅のプラットホームにテントを張って(当時はそいういうのが許可されていたけど、今はどうかな?)少し英気を養ってから後半の山々に臨んだ。雌阿寒岳はバスの便が悪く、値段も高いのでレンタカーを借りて半分観光的に丹頂鶴公園なども見ながらキャンプのノリで訪れた。真夏なのに、釧路駅でさえ朝は5度の気温。駅ではストーブ焚いている状態。どこもかしこも、寒くて、寒くて。(今なら、フリースという便利物があるが、当時はなくて、セーター着ていても寒かった。)

オンネトーの綺麗な湖のほとりで、テントを張って食べたのが、題のお味噌汁。その朝、釧路の魚市場で食べきれないほどのお刺身一式(大好物!)とあさりを購入。えらく安かった。そのときのあさりというのが驚くほど大きかった。シジミが本州のあさりの大きさ、あさりはほとんど中型のハマグリの大きさ!! 早朝に恐らく厚岸湾で採れたものだった。

濃厚なあさりのだしのお味噌汁は、涙もんでした〜〜☆☆
冷える山の中のキャンプ場で食べた、芯から温まるお味噌汁は心に残る一品でした。すっかり英気を養って、気分も良好。後半戦の山々は前半戦と比べて楽しく登れた。今では、百名山狙いの人達では、レンタカー使いの周遊なんて当たり前なんだろうけど?当時はまだブームの前で、静かな山々が多かった。

追記:それと、北海道のキャンプ場って、本当に数も多くて、とてもどこも盛況だった。これも本州から行った私には新鮮に思えた。海水浴が海水が低温でできないから、その代わりの夏の楽しみ方として定着しているような感じに思った。
                                       
 (2003/05/05記)  


 第22話  さぬきうどんのセルフのお店

最近、関東にも本場讃岐うどんのお店が進出していて、渋谷などでは長蛇の列ができていると評判である。我が住んでいる街にも先週お店を発見。早速食べてみた。うどん1玉100円。てんぷら類が大体90円ぐらい。いろいろ載せてみて食べるのが楽しい。お店も綺麗で、かなり混んでいる。今の不景気の時代にぴったりのファーストフードである。

讃岐うどんのお店と言って話題なのは、「セルフのお店」という形式である。本場讃岐地方では、自分でトッピングを載せて選んでいく形式のお店を「セルフのお店」と呼んでいてとても多い。値段も安い。

実は、私がかつて100名山潰し?の旅というのか、瀬戸大橋もできたので、電車で四国に渡れるようになった年に、「石鎚山」と「剣山」を登りに行ったことがある。剣山はバス便がほとんどないので、思い切って、下手な運転だけど、高松からレンタカーで往復した。それで高松には2泊したのだが、ここが讃岐うどんの本場でお店もとっても多くて全部うどん屋さんみたいな町だった。(ラーメン屋さん、お蕎麦屋さんは見かけなかった) 色々と山登りの合間に食べたし、四国を離れる最後の最後まで駅の立ち食いうどんも食べてから四国を離れるほど。

私はうどんが大好物。セルフのお店に入りたいなあと楽しみにして行ったが、そもそもセルフのお店って、ちょっと外からみて?独特の雰囲気あり。他所から来た私には入り方が分からず。昼には、サラリーマンの人が長蛇の列になっているけど、なんか観光客は入りにくくて、何度も入ろうとしたけど、一人だったので勇気がなくて入れず(ちょっと若かったんだなあ。。。)

結局、セルフのお店でなく、ふつうのタイプのガイドブックに載っているお店に毎食通った(^^;) 毎食本当にうどんばかり食べていたので、しまいには、ちょっと貧血気味?になってしまって、慌ててケンタッキーフライドチキンを食べて一息。今だったら、コンビニがどこでもあるが、当時はまだあまり地方にはなかったと記憶している。

山の思い出と食べ物の話って、結構考えると色々あるかもしれない。思い出したら、また書きたいものです

                                            (2003/05/11記)  


 第23話  登山添乗員?

現在発売中の6月号の「岳人」のコラム記事186ページに、私も少し存じ上げている山田哲哉ガイドの「ガイドは添乗員でなく、パーティーをつくる者」(サブタイトルが、やっぱりツアー登山は嫌いだ!)の記事が載っている。

これは、なかなか面白かった!興味を持ったかたは本屋で立ち読みでもされるとよいかもしれないが、概略は大手旅行会社の山の部門の添乗員が驚くほど山に対して無知で、経験もなく、こんな人が添乗(山を添乗っていうこと自体が変だが)している・・・ってことから始まって、日本のガイドシステムの問題まで話が発展していく内容だった。

登山添乗員(そもそも、そんな言葉は初めて知ったが)で、年間150日も山に入る女性の方が、山田ガイド主催の「八ヶ岳全山テント縦走」を1月の厳冬の山の登山教室に参加した。その際に「ジーパンを含めて上から下までの着替えとハードカバーの本、傘、温泉セット」まで持って参加したというから驚いたもんだ。全く冬山どころか、夏山の知識もないんじゃないかな・・・って感じである。最後には全部の荷物を放棄して、身一つになって登ったというからとても大変な話である。

そういうレベルの人でも、多くの登山ツアー客を引っ張るかと思うと空恐ろしい。いわゆる登山専門のツアー会社だと、しっかりした山の経験者が、本当のガイドとして導いてくれるわけだが、その分お値段は結構高い。安ければいい式のところだと(実際添乗員はかなり低賃金らしい)そんな人でも雇ってツアーを運営しているわけだ。これでは、訴訟沙汰になっている遭難事故も発生してしまう構造がわかったような気がした。

実際のところ、巷にあふれている登山ツアーは、交通費や時間のことを考えると安くて合理的。自分で電車、バスを乗り継ぐよりも遥かに安いし速い。車で行くのも遠いところなんか、ちょっと食指が動くことも事実である。だから、否定するものではないが、やっぱり、ツアーにあっても、自分は自分。あくまでも自分の身は自分で守らなければならないのである。なんとなく、ツアーだから、初心者でも安心・・・・・なんて思って登っている初心者がいるかと思うと、とんでもないことでも起きそうな、そんな感想を正直思いました。
                                       
 (2003/05/17記)  



 第24話  「嘘つき男と泣き虫女」

ベストセラー本で「話を聞かない男、地図が読めない女」という話題の本があるが、自分は地図を見たりするのが好きなほうなので、なんとなく読もうかと思いつつ、読まずにいた。今度、その続編が出たので、たまたま立ち読みしたらとっても面白かったので、買って、興味のあるところからぱらぱらと読んでいるところである。

本書では、FBI捜査官がどうやって嘘を見抜くか〜なんてことも書いてあったけど、ホントホントとうんうんうなずきながら読めてしまう。この本では男性の嘘の方がばれやすいというが、やっぱり一般に女性の方が演技がうまいと思う。「嘘つきは泥棒の始まり」という格言どおり、本当にそれも実感した本でした。

最後まで美しくばれない嘘ならば黙って騙されましょうが、ぼろぼろとほころんでくるのは、正直見苦しいものですね。かねてから、私見に思うに、お酒とタバコと麻薬と○○は習慣性のもので、なかなか辞められないものだと思っていたけど、この本を読んで、やっぱり人の本質はそう簡単には変えられないものなのだと痛感した。(ちなみに、適量のお酒なんかは、血行なんかもよくなって、ほどほどにはいいと思うけど。)
                                            (2003/05/21記)  


 第25話  高川山レポ

5月25日(日)に行ってきた山の簡単なレポです。
(今回は、きちんとしたレポは省略)

高川山は、中央線の初狩駅(東京からだと大月駅よりも一つ先)の駅前から登れる975mの低山である。私が学生時代に山をやっていた頃は、このあたりはマイナーな山であったが、今では、中高年登山ブームで、大変な人気の山である。なんせ、登り1時間半で、富士山をはじめとした360度の展望に優れている山なんてそうはない。

大人気の山なので、早く行って静かに登りたいと家を6時に出て、8時少し前に駅に到着。予想に反し、駅で降りたのは私だけ。どんどん登っていくと、私の持っていたガイドブックのコース(男坂、女坂コース)は「落石が予想されるので避けてください。沢コースをお進みください」看板にあるので、そのまま車道を進む。中高年4人組と幼児連れのご夫妻の他は誰にも会わずに山頂に。山頂に近いところから、オレンジのヤマツツジが綺麗で、ついつい撮影してしまう。これがなければ登りで1時間を切ったのだが、写真の方が大切なので、1時間5分ぐらいで到着。全ての山々はボーっとしているが展望は本当によい。富士山は残念ながら全く見えず。手前の三つ峠辺りまで視界がきく。冬に登った御正体山が結構立派に見えて嬉しい。丹沢を裏から眺めるようにかなり見れて、まずまず満足。

ここの山頂には、単独の男性1名と、お犬様(雑種のなんともいえない人慣れした犬でした)が1匹。一番よいところに、お犬様が鎮座して、最後までその座を譲ってくれませんでした。

下りは、るんるん、ヤマツツジを愛でながら、これまたあっというまに富士急行線の田野倉駅に下山。(まだ11時!)予想したとおり、これから登る人が結構多くて、一足違いで静かな山を楽しめたことに感謝。結局お腹も空かないので、持っていったおにぎりは、自宅に戻ってから食べたとさ。*(^O^)*

こんなにコンビニチックな山が、もっとたくさんあったらいいなあ〜。(これに温泉がついたらベストだが、それがないのが残念)電車アプローチの私には、とってもありがたい山なので、今度は冬枯れの季節、富士山を楽しみにまた登りたいもんです。

(それにしても、本当はラストの山スキーに行くはずなのに、風邪の体調で、超軟弱ハイキングにしたんだけど、雪が解けてしまって残念だなあ・・・)
                                            (2003/05/28記)  


 第26話  北の山のこと

2年前の朝日連峰縦走の時のレポを今回HPに掲載するにあたって、写真とか当時の記録とかを読んでいてなかなか懐かしかった。

ちょうど「山と渓谷」の今月号が「北の山をめざせ」となっていて、久々に懐かしい北海道や東北が載っているので、いろいろ最新情報をパラパラとめくってみた。

自分にとっての、初めて北の山らしい、東北の飯豊縦走に行った時は、急斜面で有名な石転び雪渓から飯豊本山への縦走だった。既に高校時代に北アルプスには何度か行っていた私だったが、初めての東北の山は驚きの連続だった。標高が低いけども緯度が高いので、残雪がとても多くて、ガスも濃く。ルートを間違えそうになることしばしば。初めての大学サークルの合宿で印象的な山行の一つでした。当時はまだテントもOKだったので、テント山行でした。近くのパーティーが水汲みに行って、あまりのガスの濃さに迷子になり、真夜中まで救助騒ぎがありました。夜には怪談騒ぎもあって。。。。人も大して入っていなくて、夏山なんだけど静か過ぎる山々でした(今は登山ブームなので事情が違うと思いますが)

北海道の山々も最初に行ったときは、あまりの寒さに驚き。とても北国の厳しい気象条件を実感しました。そして、何よりも、広大な山々の景色に感激いたしました。山の上から里が見えないというのは素晴らしい実感でした。

「山高きがゆえに尊からずや」という言葉がありますが、まさに、北の山に行って、アルプス的な高さだけを競うのだけが山ではない、自然の雄大さを知ることができました。

深田百名山も、そういう意味では、登山の持っている色々な要素を勉強することのきっかけとなるので、素晴らしいものであるとも思います。できれば、自分にとっての100名山をいつの日か構築できれば嬉しいものです。
                                          
  (2003/06/02記 



 第27話  FAX 万歳!

自宅の電話機は実家から譲り受けたお古で、十数年使っていたが、買換える理由もなく。だが、先日とても重要な留守録をしてくれた人がいるのに、録音されていなかったことが判明。これで、ようやく大義名分?ができたので、念願の普通紙FAX付きの電話に買い換えた〜☆

職場では、毎日大量のFAXを送受信するが、機械の設定はいつも業者任せ。だから初期設定は全く自分で初めて行った。時刻の設定と自分の番号と名前を表示されるように設定するだけで、せいぜい5分か?もっと難しいかと思っていたが、たった5分である!!FAXも快調だ。嗚呼〜雪辱の話を思い出してしまった。

私の怒りは、長い間、FAXを使わない取引先が多かったことへのものだ。FAXはかなり前からビジネスの世界では当たり前。特に仕事の性格上、電話で話すと30分ぐらいかかる仕事が、FAXさえ流してくれれば、それを見ながら打ち合わせることができるので、速ければ3分、かかっても10分程度で済むことが多い。速いだけでなく、正確でお互いの意思の確認が確実になされる。電話だけだと、言い間違い、勘違いが結構生まれることも多く、本当にFAXさまさまである。

会社の方では、FAXの活用をことあるごとに取引先にお願いしていた。戸別訪問の際には営業ではFAXの設定、使い方まで指導! それでも、機械に抵抗のある人などは、相変わらず電話だけで用件をすまそうと電話してくる人が多かった。逆に仕事に意欲的な方は年齢は問わず、きちんとFAXも活用、売り上げも大きい。仕事に対するきちんとした姿勢が見えている。

あるときなど、FAXを単に流すのが面倒(字を書くのが面倒、機械に流すのが面倒という、本当にコイツ仕事をする気あるのか!)という人に、やんわりと「FAXでお願いしますね」と頼んだだけのに、私の人格を踏みつけにするような言葉を、それも何年経った今でも怒り心頭の言葉を平気で言われた!!

やっとここ数年、厳しいご時世で会社も本格的に明らかに勉強不足の質問は、一切FAXでないと答えないと意識改革に乗り出した。できない方には引導を渡すこととした。

さて、自分が買ったFAXは、どこが難しいか?わからないぐらい明瞭簡単な設定ですむものだった。あ〜、たったこれぐらいの手間を惜しんでいた人達だったのか・・・まあ、自然淘汰の時代だから、神様はきちんと見てくれているだろう。。。

取引先で、FAXを利用して情報を流す、流さないということの話は、結局はその人が真剣に仕事に取り組んでいるか、お客様の立場になっているかという話につながる。

取引先といっても、私の担当しているところは、組織というよりも、一人社長や、せいぜい数人でやっているところが多いので、個人の性格が強く現れてしまう。(大きな企業の一部署みたいなところも担当しているが、そこだと全く様子が違って、社内稟議の印がづらづらと押されている文章がFAXで整然として送られてくることもある。まさにビジネス的であって、大変こちらはやりやすい。)

世の中の仕事には、テレフォンショッピングみたいな、原則全部1本の電話だけで定型的に処理ができるものもあるだろう。ところが、自分の仕事はそのFAXを見てからがようやくスタート地点に立てるのである。用件にもよるが、1枚のFAXから、通常3〜5件は電話をすぐにしなければならない。大変な案件だと20回ぐらい電話をかけたり受けたりするのも当たり前である。だから、最初の情報が間違っていると、全部がおかしくなっって大変である。そういうのが一日に何件も来るから、電話をかけてもつながらない、お待ちしていただくことも多い。

それらをほんのちょっとだけでも緩和してくれるのが、FAXなのである。せめてもの、取引先と言われる人には、きちんとした正しい内容を最初にFAXで伝えて欲しいものである。

とてもよくやってくださる取引先の方は、「自分は、お客様を大切にしたいから、自分の電話だけで長々と担当者の(私の)時間を奪ってしまうのは申し訳ない。自分のお客様の仕事をなるべく早く確実にやってくれるように、無駄な電話はしたくないし、それが全ての他のお客様への努めである」と言われた。本当に、こちらのことも理解してくれていて、わかっている方は、わかっているんだなあ・・・と感心した。こういう取引先の方の件は、やはり最優先でこちらもやってあげたくなってしまうのが人情である。

FAXは企業でなくても一般家庭にも普及してきているので、一般顧客と電話をしていても、「じゃあ、いろいろ説明するのも面倒だから、FAXするから見てね」なんて逆に向こうから言ってくれることも多くなった。大変嬉しいことである。

便利な機械をみんなが、簡単に使えるようになるといいな
あ。
                                               (2003/06/04記)   


 第28話  今シーズンの山スキー総括

山スキーを再開して2シーズン目が終わった。まだまだ初心者の域を脱せないが、それなりの成果が出てきているようなのが嬉しい。少し振り返ってみると・・・・

まずは、今シーズンは山スキー用具の全リニューアルを実施。
山スキーセットとシールの交換までを当初予定していたが、ブーツが八甲田でソールが剥がれかかり、脚にも当たるのが辛かったので、これを自分の足型のサーモインナーのブーツに替えたところ、今までの兼用靴の歩きにくさが取れて、スイスイ歩ける感じになった。

山スキーは登りも滑りも用具の力に負うところが大きく、去年苦労して登れなかった斜面も、シールとビンディングのお陰で随分ラクに登れるようになってきた。滑りも、ビンディングの安定感はやはりディアミールは最高!なんで、ゲレ板のビンディング(サロモン)と同じ感じで滑れる。ブーツはゲレンデのブーツはラングだが、そこまでの堅さはないが、歩きやすい点を評価すると満足な感じである。

あとは、どこをいつの時期に滑るかというのが、ちょっと今年はうまくアレンジできなくて、あと2、3本は滑りに行きたかったのに、とても残念であった。調子が出てきたあたりで、来シーズンっていうのはつらいなあ・・・・。どうしても、山スキーには最適の3月から4月上旬ぐらいの時期が、仕事が忙しい時期でもあり、なかなか夜行で行くのが辛い。GW明けは、雨が降ったり、風邪を引いたりと、なかなかもったいないことをした。

来年は、このようなことも踏まえて、12月〜2月までの比較的早い時期に、ゲレンデ練習も兼ねて神楽峰等の近場で練習をして、また深雪の八甲田もこの時期に行きたい。3月からは、もう少し山らしいところに行き、4月には、できれば道路開通次第、来年こそは早めに針の木に行きたいなあ。。。 

お買い物面では、クトー(スキーアイゼン)の購入と、軽量なアイゼン購入を計画している。またGPSを使えるといいなあと思っているので、無雪期から導入していこうかなあ・・・・って考えているところである。

少しずつでも、進歩があるというのは嬉しいものである。今年は念願の真砂沢を滑れたし、来シーズンは、幾つ念願のコースを滑れるか楽しみである。
                                              (2003/06/07記)  


 第29話  ドリームジャンボ宝くじ

私はごくたまに宝くじを買う人で、それも毎回とかでなく、気が向く時のそれもドリームジャンボみたいな時にたまに買うぐらいである。

今回は、金曜日の日に、ようやく7ヶ月にも及ぶあることが無事終了して、やれやれというお祝いすべきことがあり。さらに、全く別の件で、この2ヶ月間ぐらい関わっていることが無事に方向性の目処がたったという2重のおめでたさ。(ちなみに、仕事じゃないよん)

よって、こういう良い運の時に、運だのみである宝くじを買うというのはいいことだというのを、何かで聞いたことがある。それでドリームジャンボの最終販売日であった6月6日大安吉日に購入したのであった。枚数は少ないけど、ささやかな夢である。

昔、年末ジャンボを職場でまとめ買いというのを10数人でやっていたことがあった。職場は、知る人ぞ知る、かの有名な宝くじ売り場のまん前の都内某所にあったのだった。毎年やっていたが、いつもくじを買いに行ってくれる人は、評判のくじ運の良い大変美人な方だった。彼女が毎年買ってくれていたお陰で、儲けるまではいかなかったが、絶対に自分で買ってもあたらない、5万円ぐらい?とかのある程度まとまった金額がコンスタントに当たっていたのだった。配当率は自分で買うよりも断然よかった。

ところが、たまたまある年だけ彼女がお休みしてしまって、別の方が買いに行ってくれた年だけは・・・・・大変に買いに行ってくれた本人には言えないが、いつもの年の半分ぐらいしかお金が戻ってこなかった。

やっぱり、くじ運ってあるんだよね・・・。あやかりたいものです!!

                                               (2003/06/07記)  


 第30話  飯豊の怪談話

この前、飯豊の縦走の話を少し書いたけど、ちょうど思い出したので、そのときのエピソードを少し・・・。

飯豊縦走は、石転び雪渓を登り、稜線に出た後も、かなり雪が多く残り、梅雨明け直前ぐらいの時期で、縦走路がわかりにくいところが多かった。連日ガスがかかっていることが多く、お日様をほとんど拝めなかった

二日目にテント張ったところは、御西小屋だった?と思うが、大日岳を往復するのも、迷子になりそうで、ガスも割と出ていて侘しい感じ。。。。幾つか遭難碑を拝んだり・・・。

昼のうちに水汲みに行った。水場はやや窪地で地形がわかりにくかった覚えがある。それでも、昼間だったので問題はなかった。夕方遅く到着したパーティーがいた。その人達は、暗くなってから水汲みに行った。「まだ、戻らないか?」「まだだよ」という会話に始まって、「探しに行かないか?」「行こう」・・・・「おーい!」「おーい!」名前を連呼する声が夜のガスの濃い空間に響いた。

我々は、早くから寝ていたが、そのうち隣のパーティーの大騒動に目がパッチリ。とても、寝ている気分ではない。ようやく、ぜーぜーというすごい疲れた息をした人達が、私らのテントのそばを通って、テントに無事に帰還(隣の我々も本当にほっとした。もう少しで応援に行こうかと話していた)

ところが、それからが、何故か皆、我がテント内は全員亡霊?のような足音に悩まされることになった・・・・

  ザク、ザク、ザク、ザク・・・・・

テントの周りを回るような足音のような音がずっと続く。
  
  怖いっ〜〜〜〜

ますます目が冴えて、冴えて。明るくなるまで、ずっと足音のような音が聞こえた。怖くてテントの外に出る勇気はなかった。金縛りに近い感覚だった。

ほとんど眠った気がせず、翌朝、誰ともなく、その話が出た。「私も」「僕も」・・・・ 同じテントの人は皆その<音>に悩まされていたのだった。

新田次郎の短編小説に、確か「風が死んだ日」というのがあるが、同じテント内での心理状態の話がある。小説は双六小屋のテンバの話だが、まさに同じような体験である。今でもやっぱりあの時のアレはなんだったんだろう?って思っている。
                                          
 (2003/06/13記)